「感謝」
数年前、仕事をうつ病で休職していていつもいつも不安を妻に訴えていました・・。あの頃本当に家族に迷惑かていました。
妻曰く、そんな生活に疲れて実家に子供を連れて帰ろうとした時、子供に聞いたら「嫌だ」と言ったそうです。そのおかげで我が家は、今ここに存在しています。「あなた、子供に感謝しなさいよ」と妻は言います・・。
妻は、本気だったのか?子供はどうしてそう言ってくれたのか?
いずれにしろ「感謝」あるのみです・。
数年前、仕事をうつ病で休職していていつもいつも不安を妻に訴えていました・・。あの頃本当に家族に迷惑かていました。
妻曰く、そんな生活に疲れて実家に子供を連れて帰ろうとした時、子供に聞いたら「嫌だ」と言ったそうです。そのおかげで我が家は、今ここに存在しています。「あなた、子供に感謝しなさいよ」と妻は言います・・。
妻は、本気だったのか?子供はどうしてそう言ってくれたのか?
いずれにしろ「感謝」あるのみです・。
先日、歌番組でこの方とあの「角野卓三じゃねーよ」でお馴染の近藤春菜さんが仲の良いお友達として二人でトークを繰り広げていました。なかなか面白い方です。この方を全く存じ上げてなく曲をネットで聞いてみました。R18にしたい曲もあってなかなか斬新な人です。
今まで「明日はきっといい日だろう・・」的な曲はたくさん聞いてきましたが、
この曲は、
「明日はいい日になる」
と言い切っています。私には今までになく新鮮に心に響き、私自身も「こうありたい」と思ったものでした。
「明日はきっといい日になる / 高橋優 」
今、療養中のあなたに誰か訪ねて来てくれましたか?
私には、職場の方が業務遂行のために来てくれただけでした。近所の親戚(医学の知識あり)から親友と思っていた人間も来なかった・・。当時、人恋しさもあったけどそんな人間達を「こんなに苦しんでいる人間をなぜ訪ねてこない」と恨みに恨んだものでした。ありとあらゆる私に面識があるであろうと思われる人間を・・。妻はよくこう私をなだめた。
「みんなあなたをどう扱っていいにかわからないのよ・・」
って・・。
いわゆる触らぬ○に祟りなし」ってなんでしょうね。今から冷静に思えばみんな生きていくのには忙しくそんなことにいちいち時間をさいていられなという事です。
というかその時間をさくための人間に私が
「値していなかった」
だけのお話なんですよね。念のため申し添えますが特に際立って世間様からどうのこうの言われる人種ではなかったと自負はしていますがね。
今は、普通に世間様と接しています。普通にね・・。親戚も親友と思っていた人も・・。心の根底にはまだそんな思いが残っているのかどうなのか?
でも、考えたって仕方ないし自分だってそんな思いは良くないと重々かんじているし・・。
今、明らかに変わったのは、同じような人がいればその人の心に「なんとか寄り添える」人でありたいとは思っています。子供にはいつもこう言っています。
「人の心の痛みがわかる人になりなさい。その人がなぜ悲しんでいるかを考えなさい。」
.「SEKAI NO OWARI / RPG」 .
復職をしてどうにかこうにか勤め上げております。そんな中、数か月前に復職以来とうとう一日休んでしまったことがありました。いわゆる王道の人間関係からです。詳細に書きたいのですが・・やめておきます。ある日からその方が私にだけ態度が違うことに気づき始めました。ほんの小さな態度です。ですがそれが重箱の隅を突くようで気になり始めました。私にだけ 「特に」 笑顔を見せないようになりました。子供のような態度をとったり・・・。日を追うごとにそのことで頭がいっぱいになるようになりました・・。 結局その方とは距離を置くことができました。今では笑顔で楽しそうになんなくされてます。私への態度も含めて・・。
当然ですが私が悩んでいたことなど露知らずでしょう。当たり前ですが私が勝手に悩み続けだけのお話です。復職以来最大のメンタル不調に陥ったのも私の勝手です。
この方の周りの評として「変わった人」と聞きます。私も少なからずそう思ったりします。
「アスペルガー症候群」 私は、医学的知識はありませんのでそうなのかはわかりせん。私が勝手にチャート式の問答に当てはめてみると・・。誤解のないよう申し上げておきますが決して差別しているわけではありません。もしそうであるなら「そういう方」として接するということです。
自ら気づいて自分なりに克服している方は本当に立派だと思います。でも、気づかれてないと周りとしては辛い部分もあるのは事実です・・。今回の私がそうだったかどうかはわかりませんが・・・。
今となってはあんなことで思っています。でも正直笑っているところを見ると複雑です。そこまで私を追いやった人としては紛れもない事実ですから。
自分が勝手に悩んでいたことを容認できない部分があります。それは自分にとってはとっても悲しいことです。
どうしたって勝手に悩み続けたのは私なのですから・・。
かわらなければいけないとつくづく感じています。
ここ5,6年でしょうか。我が家では、朝のNHKの連続テレビ小説を録画して夕食の時間に見るのが日課になっています。ひとつだけ「嫌」とまで言いませんが出来れば触れずに通り過ぎる事ができないかと思う内容があります。過去のお話となれば、「関東大震災」と「戦争」です。どうしても見ていて悲しくなります。今放送している「アンと花子」も例外でありませんでした。主人公「ハナ」の妹は、震災の当日プロポーズをされましたが、震災で彼を失う事になります。そして、彼女はその時から笑顔も失いました。
私は、療養中に「笑いなさい」とある方から言われました。そして勧められたのが「綾小路きみまろ」さんの漫談CDでした。あの中年以降の女性を題材にしてユーモラスにお話されるきみまろさんのCDです。実際に聞いてみました。面白かったです。でも心に余裕がなかった私には心から「笑う」ことはできませんでした。笑えなかったです。
私の心の師の方はよくこう言います。
「辛い時、悲しい時こそ笑いなさい。葬式の時に笑うのはいかがのものかとは想いますが、辛いから悲しいからといってその時に笑ってはいけないとはあなたの勝手の思い込みです。笑ってもいいのです。」と・・。辛い時、悲しい時に鏡を見て無理やりほっぺたをつり上げてでも笑顔を作り笑えと言うのです。私は、「その先に何があるのでしょうか?」と想い療養中の私に出来ませんでした。無理でした。笑えませんでした。
でも、今になって思うでのですよね。今だから想えるのですよね。やっぱり
『笑顔』
にはパワーがありますって。人の笑顔っていいですよ・・。療養中に笑えって言ったって無理かもしれませんが、無理やりというか、機械的というか、きみまろさんのCD聞くとかお笑い番組をなんとなく見るとかでも無理やりでも「笑う」という行為をしてみるといいと思います。そこには、意味も持たずに嫌や嫌でもいいのです。そしていつからかきっと何か変わってくると想います・・。最初は、機械的な行為でもその後に何かしらの「パワー」みたいのを与えてくれると想います。抽象的ですが何かの「パワー」を・・。
『辛い時、悲しいときこそ笑いましょう』
何か変わっていけるはずです。機械的にでも自分を変えてみましょう。後から何かがきっと変わってくると私は信じます。
毎回なのですが元気になる一曲ということで
さりげなくですが詞に深い意味があると想います。
ちょと聞けば何だそりゃって感じの曲ですよね・・。でも、悲しみ・憎しみ・不安・辛さ・恐怖・・・なんどろう、いろんな日々の悩みってありますよね。それをこの歌のように本当に単純に本当に簡単に本当にちょとした何か考え方の
『変換』
でそれを少しでも小さな心の動揺(ストレスかな)に変える事ができたのならと感じます。
忘れるまでもいかなくても何か穏やかにすごせるようにその嫌なものの形を変えれたらいいですよね。
ちょっとした何かで考え方を変えられればいいと思うのです・・。難しいですしそれを得とくするまでは日々の努力が必要になると思いますが、少しずつ少しずつ身につけていけばいいと思います。でも簡単にはいかいようです、考え方を変えるには・・。
ですがそれは、全ての負の出来事(ストレス)を容認して
『許す』
ではなく愛をもって
『恕す』
となるそうです。
うつ病でも精神疾患と呼ばれる病気でも本当にごく平凡の生活だって嫌な出来事や嫌な思いとどう付き合っていくかで人生って大きく違ってくると思います。
朝が来た 朝が来た 今日も朝が来た
昼が来る 昼が来る その次昼が来る
地球が半分回りゃ その次夜が来る
もう半分回ったら 次の日だ
朝が来た 朝が来た 今日も朝が来た
だから大丈夫
PCでこの曲を聴いていましたら妻がこうつぶやきました。
「きっといいことあるよって事かな・・」と。
たまにはいいこと言うなとも思いましたが、私は意地悪くこう思ってしまいました。
「 大丈夫って何が大丈夫なのさ?」と・・。
でも結局、この曲のとおり世の中なんてそれは単純なものかもしれません。億万長者であろうがお金に貧しい者であろうが朝は必ず訪れます。健康であろうが精神疾患であろうが地球が半分回れば朝が来るというのです。それは、
『万人に平等に・・時には残酷に・・』
心に余裕があれば「今日も朝を迎えられた」とその朝に感謝して・・。
日々に追われて不平不満ばかりならいつもの代わりばえのない朝・・・。
心に余裕があってもなくても「感謝」できる人で私はありたいです・・。難しですけど。
地球が半分回りゃ その次夜が来る
もう半分回ったら 次の日だ
朝が来た 朝が来た 今日も朝が来た
『だから大丈夫』
単純に素直にそう考えた(想えた)方が幸せに生きていけそうです。
『大木だって折れる事があるのです。どんなに激しく揺れたって折れず元に戻る(元の心)柳の木を目指しなさい』
カウンセラーが私に言った言葉です。
『柳に雪折れなし』とは、
柔らかくしなやかなものは、堅いものよりも、よく耐えたり丈夫であったりする。そこから、柔軟なもののほうが剛直なものよりも、かえって耐える力が強いことをいうそうです。
どんな大木でも折れることはあるけれど、柳の枝は例えどんな風に吹かれてあっちっちに揺れこっちにに揺れ激しく振幅をしても決して折れる事はないというのです。いずれ元に戻り元の姿を取り戻すのです。
何か嫌な事があれば心は揺れます。大きく揺れるのか小さく揺れるのかはその人の性格です。
「小さな事にくよくよするな!」「もっと前向きに考えて!」「悪い方向ばかり考えるな!」とよく言われませんか?
120%断言します。
『性格は絶対に変わりません』
何か嫌な現象があって最初に感じる感情が、ポジティブに考えるか・ネガティブに考えるかは人それぞれで簡単に変われませんって・・。そんなものは生まれ持ったものです。ご陽気に考えられない人間にご陽気に考えろったって無理です。だから病気になちゃたんだから・・。(そればっかりが理由ではないのですけどね・・。)
私もそうでした。療養中に不安に襲われる事があると無理やり「大丈夫。大丈夫。なんとかなる。」と強引に心をご陽気(安心)にしようとした事がありました。とにかく安心したかった・・。でもそんなことはいつも一分と持ちませんでした。強引に最初に感じる感情を変えるなんてどだい無理な話です。特に療養中の身で無理です。
でも、そこから先の考え方は変えられます。根気と時間はかかるかもしれませんが変えられます(治せます)。いわゆる「認知行動療法」というものになるかと思います。これは絶対に必要です。身に付けたいものです。
かなり話が飛びますが私が最終的に目指すところは、
『すべてを知って阿保になれ!』
です。バカじゃないです。阿保というとこがみそです。私の心のよりどころになっている方の言葉です。
例え人から「あなたはきちが○だね」と言われても「作用でございます。私はきちが○ですね」と想える人になる事です。
そこになんの喜びも悲しみも恨みも憎しみもいらぬ感情は持ちません。持つとすれば、ああぁ、この人は、私のために自分の心が貧しくなるのも省みずこの醜い言葉を私に言ってくれたのですね。私の心の在り方を試してくれたのですね、ありがとございますと・・。そしてこの方の幸せを何の見返りを持たず幸せを願う。
柳の木の心の最終形がこの
『すべてを知って阿保になれ!』
だと私は想います。
療養中に幾度となく妻に不安をぶつけていた私に対し、妻が「何か不安を紛らわすことを覚えたら?」とどこで聞いてきたか知らない知識を何百回も言ってきました。「そんな事したってまたあの不安は襲ってくるだろ、意味がないよ」とその提案は考えてみませんでしたし、そんな余裕はさらさらありませんでした。また、主治医・カウンセラー等々からも「何か趣味を持ちなさい。ストレスを発散させる何かをもちなさい。」と何度も言われましたがいまいちピントきませんでした。でも最近になってこの「ストレスを発散させる何か。(不安を紛らわす何か)」の大事さを感じはじめました。
今となってだから言えるのですが療養中の方はこの「何か」を使ってその時の不安から逃れる「術」を持つ事は大事かと思います。確かにその間だけ不安から逃れられてもまた不安が襲ってくるかもしれません。だけどその間だけは自分を取り戻せます。その時間がちょっとずつでも長くなって習慣づけてしまえば何か違うもの(違う価値観)が見えてくるかもしれません。
話はずれますが、いずれにせよ『価値観』は変えなくてはいけません。そうしないと復帰後社会では生きていけません。
たまーにですが先輩ずらして「一杯飲みにいこうや」と誘っていた後輩がいました。とうとうその後輩に職場の役職を抜かれました。
「何か生きがいをみつけましょうね」と常ずねカウセラーに言われてきました。私は、「仕事もいい加減じゃなくて、それでいて何か生きがいをみつけていきたいと思います」と言ってきましたし、真面目に考え始めていました。しかし、後輩の一件が現実に起きました。いずれ起こる事で予想も覚悟もしてきたつもりです。実力は関係ないんです。いつまた爆発すりかわからな者は上からみたらやっぱりそれは「爆弾」なんです。それにつては否定しをしませんし、事業者・経営者側からしてみれば当然の選択だと思います。その事については、受け入れるよう心の準備をしてきました。
もう腹を決める時期がきたようです。
「仕事もいい加減じゃなくて、それでいて何か生きがいをみつけていきたいと思います」
そんな甘ちょろい事言っていられません。仕事なんていい加減でも
「二度と病気にならない生きがいを見つけよう」
が、先でもいいというか余暇が一番、仕事は二番でいいのかと思います。「甘いのはあなた。雇ってもらっているだけでありがたいのよ」と言われれば返す言葉はありませんけどね・・。
私は、このブログでうつ病を治すためにはいらないもの・捨てなければならないもの・不必要なのは「プライド(世間体・みえ)」と言ってきました。
うまく言えませんが捨ててはいけないプライドというものもあると思います。でも、間違っているかもしれません。きっと間違っているんでしょうね・・。仕事は二の次でなんて考え方・・。でも、今思っているこの私の感情は、
うつ病患者が生きていくための
「術(必要なもの)」
だと思います。
この章の2つ下、『なんくるないさ・・。』のその後についてです。その内容とは、職場の人事異動についてで「自分も異動があるのでは?予想の先の上司は怖い人だ、上手くやっていけるのか?また病気になったらどうしよう?」で一か月以上悩み続けていました。
結果がでました。何てことはない「異動なし」でした。「良かった・・」と想いはしましたがはるかそれ以上に
「結局なんのために悩んでいたのだろう?今まで何を学んできたのだろう(認知行動療法みたいなもの)、何も生かされていなかったじゃないか・・」
ただ気が抜けて脱力感だけが一日残りました。つまんない一日だった・・。
結局のところ自分の状態が調子のいい時の学びは、自分が分かったような気がしているだけなのかもしれません。理解した・もう自分は大丈夫だぞと自分に都合のいい解釈をしているだけかもしれません。
私たちが学ぶべき考え方とは、
『いかに自分が弱った状態になった時に、いかに学んだ事(幅広いいろん考え方みたいなもの)でその難局を乗り超えていくのか、ピンチの時にいかにその学びが実践できるのか、やり過ごす事ができるのか』
だと思います。
私は、改めて「学び」を生かすための実践の大切さと難しさを体験しました。
全ては、『体験』から学ぶのみです。