明日に住みついてる幻覚の名前は
皆さんご存知「希望」というアレです
未来なんて来なけりゃ皆とのこの差も
これ以上開くことは無いのにさ
だって昨日も一昨日も変わろうとしてたけど
今日も僕は変わらないまま今日がまた終わってく
明日また起きたら何か始めてみよう
だから今日はいつより早く眠りにつこう
だけど眠れなくて朝日が昇るんだ
明日はもっと自分が嫌いになるのかなぁ
精神を安定させるアイツの魔術は
苦しみだけじゃなく楽しみも消していく
憂鬱を抑えてくれるアノ子の呪いは
絶望だけじゃなく希望も無くしていく
あぁ僕の身体が壊れていく
「いいかい君は病気だから」とお医者さんがくれた
この薬を飲んだら深い眠りに堕ちるんだ
明日また起きたら何か始めてみよう
だから今日はいつもより早く起きてみよう
だけど起きれなくて夕日が沈むんだ
こんな辛い日々もいつか終わるかなぁ
そうさ誰のせいでもなくて僕の問題だから
僕のことは僕でしか変えることができないんだ
明日を夢見るから今日が変わらないんだ
僕らが動かせるのは今日だけなのさ
今日こそ必ず何か始めてみよう
応援はあまりないけど頑張ってみるよ
明日を夢見るから今日が変わらないんだ
僕らを動かせるのは自分だけだろう
そんなことわかってるんだろう
強くなれ僕の同士よ
この詞は、「世界の終わり / 銀河街の悪夢」になります。私も今日知りました・・。見事にまで「闇(精神疾患)」を表現してくれています。あっぱれです。
うつの世界は正にこうです。でも、うつの経験のない方にはどれくらい伝わるんだろうか・・。でも、皆こんな感じで日々苦しんで、悲しんで、切なくて、変われない自分が情けなくて・・・一日を過ごさせているんです。本当に私もこの詞そのものでした。
明日を夢見るから今日が変わらないんだ
僕らが動かせるのは今日だけなのさ
今日こそ必ず何か始めてみよう
応援はあまりないけど頑張ってみるよ
他でもない自分が何か始めなくてはだめなんです。明日じゃだめなんです。今日からです。今この瞬間からです。
よだれを垂らし、鼻水を垂らし、おしっこを漏らし、うんちを漏らし・・ そんなごとく這い上がるのです。自分で這い上がるしかないんです。
彼も言ってます
明日を夢見るから今日が変わらないんだ
僕らを動かせるのは自分だけだろう
そんなことわかってるんだろう
強くなれ僕の同士よ
残念ですが薬では変われません。
他でもない自分で自分自身で変わるしかないのです・・・。
「世界の終わり / 銀河街の悪夢」
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NHK連続テレビ小説「花子とアン」からのお話になります。物語は、大正時代のお話なのですが、主人公「安東はな(吉高由里子さん)」は、幼少の頃、極貧の生活の中、悲しい事や辛い事があると『想像の翼を広げて』と言っていろんな夢を抱いていました・・。「空を飛べたらなら・・」「あの雲をおなか一杯たべられたら・・」とか・。大人になっても行っています。全く下衆の大人になり下がった私は「それってただの現実逃避」じゃんって思いました・・。
中学の保健の授業で習いましたでしょうか。自分の精神を保つために、その今起きている「現実」から逃れるがために自分を違った状況(仮想の現実)に追いやる・。こんな意味合いだったと思うのですが・・。
最近になってこの主人公の
「 想像の翼を広げて」
は、ただの現実逃避とは違うぞと感じはじめました。
この年になると「夢や希望」などという言葉はあまり口にしなくなります。恥ずかしいというのもありますが、いい加減世の中の現実を嫌というほど見せられ、知って、学んだりしていますから・・。
でも、やっぱり希望っていうか夢というか何かしら持ち続けるっていいことだと思います。何か前向きな自分の生きる「力」になるもの・・。そんなたいそうなものでなくたっていいと思います。「痩せた自分を想像してみる」とか・・。今の私なら「定年まで健康で勤め上げる」になるでしょうかね・・。
療養中の時は何も想像できなかったけど、今思えばこの「想像の翼を広げて」の前向きな「夢や希望」を持つことは、たとえバカバカしい現実離れのお話だって少しでもあなたを前に向かせるものならばOKかと想うのです。「元気になって宝くじ当てて一戸建てを買って世界旅行に出かけよう」とか・・。「現実逃避」じゃありません。
『現実とも向き合ってそれでも少しでも前を向こうじゃないか!』
っていうお話です。どんな事だっていいじゃないですか、前を向きましょう。ちょっとでも少しでも・・。病気中はなかなかそんな気持ちになれないかと思います。私だって今だからそう想えるだけかもしれません。でも「治ったらあれをまたやるんだ!」「元気になったらまた好きな事をもう一度元気にやるんだ!」とか・。
「夢や希望」は、病気の人を元気(治癒)にさせるために大きな力になるみたいです。
テレビで「こんな人はうつになりやすい」という番組をやっていました。私は、この手の番組に対して大抵は「そんなもんじゃない!そんな単純な事じゃない!」と突っ込みを入れるのですが、この番組の5つの問いに対して勝手に中自己採点して90点位の「うんうん、そうそう」となってしまいました。最後の問いがこうでした。5人のタレントさんの前に5つの種類の違うケーキが並びました。そしてアナウンサーが「このケーキ・・・」と言った瞬間に私はこの問題とその答え「どんな人がうつになりやすいのか?」を120%解りました。問いはこうです。
「この5つの種類の中から好きなケーキを取ってください」
です。
ずばり当たりました。そして、私が絶対にとらない一番目の行動をタレントの坂上忍さんがしました。
「5人の中で最初に有無も結わさずケーキを取る」
です。
私は、「あーこの人なら」と思いました。私は、坂上さんの行動が悪いと言っているのではありません。ただ私は、私の思うところの日本人の美徳の精神と人から「厚かましい」と思われるのが嫌だからこれは絶対にしません。
二番目に私がとる行動を俳優の「渡部篤郎さん」がしてくれました。
手を差し伸べて「お先にどうぞ」とジェスチャーする事です。そして最後に私が取るであろう行動も渡部さんがしてくれました。
「最後の一個になるまで取らない」
です。
カウセラーはこの問いに対してこう解説しました。最後まで手を出さない人の多くは、
「自虐的に他人の幸せを願う事が多い、それがストレスとなってうつになりやすい」
と・・。
それは、自己の感情を押しころして他人に良かれと思う事をするという事なのでしょうか・・?そこに神様のようになんのわだかまり、こだわりみたいな負の感情が無ければそれは良い事なのでしょうが、自分でも知らず知らずのうちに「ストレス」を抱いてしまってはうつになりやすくなってしまうと私は解釈しました。
・こうでなくてはいけないと自分で勝手に決めつけない。
・自己犠牲も時には必要であるが程度の差があれ「ストレス」となっては元も子もない。自己を主張する事も時にはとても 大切である。
と、学びました。
いつだったかカウンセラーにこんな事を打ち明けました。
「早く献血のできる体になりたいです」
と・・。
献血をされた経験がある方はご存じでしょうが、献血をする前に自己による問診票の記入があります。そこに現在、服用している薬は?とうい項目があります。正直に書けば「申し訳ございません」となってジュースをもらって帰ることになります。そうなのです、「うつ」の薬は輸血の血には適さないという事らしいです。もちろんうつ等の精神疾患の薬だけではないです。私も知ってはいましたがなにか自分が「特別な体」という気がして寂しい思いをした事がありました・・。
先日主治医との診察で
「いつも朝○○を飲んでいましたね」
私
「はい・・(ムニャムニャ)」
主治医
「○○を何錠でしたっけね?」
私
「はい・・(ムニャムニャ)」
主治医
「○○を何錠・・。そうですね。減らしましょう」
私
「はい・・(ムニャムニャ)」
なぜ返事が(ムニャムニャ)なのか?私は、自分が飲んでいる薬がわかりません。というか処方されている薬がわかりませ。というかそれをその薬を飲んでいません。そうです、処方だけしてもらって飲んでいません。先生に言い出せずーーーといます。
決して職場には言えない事です。重々承知しております。「薬を飲まずまたなったら(再発)どうするのか!」と言われる以前の問題として、社会人として迷惑をかけた人間として薬を飲む事など当然の責務でしょう。私はこの言い回しが嫌いですが今時の表現で、
「自己責任で飲んでいません」
私は、療養を数回繰り返しました。最後の療養中に主治医にこう言いました。
「また薬を変えてください」
と・・。
主治医は「薬を変えてもね・・。」と語りだまりました。私も薄々気がつき始めていましたし、それを認めるのが怖かったし、認めたくなかった。認めれば心のよりどころみたいなのが無くなるしこの先希望が持てなくなるのが怖かった・・。そう、
『薬だけではこの病気は治らないという事』
後から分かった事は(体験をとおして知った事)、
『薬では治らないとうい事』
誤解のないよう薬が悪いと言っているわけではありません。私も薬に助けられたのでしょう。治療の取り掛かりとして薬の服用は絶対です。そこで、薬の力をかりて「ドーパミン?」でしたっけ・・、それを増やして元の状態に近づけて治療していくのですよね。だから薬は必要かと思います。私は、初めこの薬を拒否して失敗した過去があります・・。だから
「治療の取り掛かりとして薬の服用は絶対です」
ここからは私の持論で医学的根拠は全くありません。
一般的にうつ病の治療期間は3~6カ月といわれています。当然ながら切った・腫れたの病気とは訳が違いますから、教科書とおりにいくわけがありません。ただ、多くの臨床結果から3~6カ月とう値があるのでしょう。という事はこの3~6カ月を過ぎたならある程度は「特別な期間に入った」という自覚が少しはあっても良いのでは?と感じます。重ねがさね言いますが治療期間は人それぞれです。
私もその期間を過ぎ「薬で治るのだろうか・」という不安を覚えるようになりました。そして「薬だけでは治らないのでは?」という想いを感じ始め、今までこのブログに書いてきた事を、薬以外で治すために、自分なりにいいと思う事を少しずつコツコツと毎日始めました。
うつ病って「記憶の病気」だと思います。そして治ったとうのは記憶が思い出になった時にいうのではないかなと私は想っていいます。そこに明確な線引きなどないと思います。一生付き合っていくものなのでしょうから・・。
主治医は言います。「薬は予防のためもあります」
カウンセラーは言います。「お守りがわりに飲み続けている人もいるよ」私は、この気持が本当によくわかります。
お二方のお話はなんら否定しません。
たた、私は私の考え方の中で薬に依存はしたくなかったから、今薬を飲んでいません。私はできれば薬を飲まずに健康を保ちたいと思っているからで、薬を飲み続ける方を否定するわけではありませんので申し添えしておきます。
私は再発を数回繰り返しました。最後の療養中の期間に妻から言い渡された仕事は、牛乳パックをリサイクル用に切る仕事でした。今にして思えば40歳も過ぎた男の「仕事」としてする事ではありませんよね・・。でもそれすら満足にできず妻から怒られたものです。でもそれがその時の唯一の私の「仕事」でした。
私は、今、うつ病や精神疾患等の病で苦しんでいる人に
『いつかはきっと治るよ・・』
と無責任なことは言いません。私も当時、本当に「いつ治るのだろうか?一生治らないんじゃないのだろうか?」と何度も何度も不安に襲われたものです。みんな一緒だと思います。
私は今となって思います。
先は見ないこと、遠い先(未来)は見ない事です。そして小さい事をコツコツと続ける事です。そのコツコツを
『継続』
する事です。そしてそれを少しずつ大きくしたり形を変えたりして自分に
『自信をつける事(新しい自分になる事・生まれ変わる事)』
かと思います。その「コツコツ」する事はなんだってかまわないと思います。今の自分が変われるものなら最初はなんだっていいと思います。
とにかくそれを継続する事です。
あのドラえもんの主人公、のび太の日記にこんなものがあります。
『朝起きて昼寝して夜寝た』
残念ですがこんな一日が毎日続いているとしたら何も変われません。
私は、自身の体験からこう想います。
『とにかく何か変わるためには、自身生まれ変わるために何かを継続し続けるしかないと思います。』
療養中、月日が経つにつれ、土曜日・日曜日が嫌いになりました。理由は簡単です。家族が一緒にいるからです。家の中で好き勝手、自由にしていられないからです。妻・子供の手前、ゴロゴロしていられません。妻にも子供にも気を使い、申し訳なく普段のようにゴロゴロできませんでした。そして、土曜・日曜日は、一切外出しませんでした。外に出れば、職場の人間に会う確率が平日に比べ確実に上がります。だから土・日はいつも家の中にいました。そんな自分が嫌だった・・。私が変わろうとしたきっかけ・・。以前に書きましたが、
・ 病院に診察に行っても先生に話すことがなくなった・・。(なんの変化もない生活だから・・。)
・ いつからか午後の再放送ドラマを楽しみにしている自分がいた・・。
そして、
・ 土日が嫌いになった自分
です。
絶対的に必要な療養期間が人それぞれあると思います。心のエネルギーが枯渇してしまった分、補充する時間は必ず必要です。それは、医学的には概ね3~6ヶ月だそうです。以前も書きましたが、私たちの病気は、切った・腫れたの単純な病気と違います。だからそんな簡単に杓子定規には決められないと私も思います。でも、この期間を過ぎたのなら、医学的・世間的には『例外』の人になっていくのでしょう・・。職場・学校等はそう見始めていくと思います。私たちは、その期間が過ぎたのなら、別の方向に目を向けなくてはいけないと思います。
療養期間に終わりを告げなくてはいけない『時期』は、他らならぬ自分がわかるはずです。わかっているはずです。何をどうしたって、自分で今の『自堕落な生活』と決別をして、自分で這い上がるしかありません。誰のためでもありません、家族のためでもありません。
自分のために這い上がるのです。
その後に家族のため等をくっつければいいのです。
『棚からぼた餅』
で、いつか治るを期待したって絶対にその時は訪れません。「いつかきっと治るよ・・。」いつまで待ったって来やしません。
『人生に棚からぼた餅はありません。ましてや私たちの病気に棚ぼたなど絶対にありえません。自分で這い上がるしかないです。自堕落な生活が長かったなら長い分、その分もがかなきゃならないんです。』
「いつかきっと治ります。」などと身勝手なことは言いません。ただ、今の生活を変えない限り「治る。」という状態が訪れないことは確かです。
外に一歩出てみましょう。昼間が嫌なら夜だっていいです。まずは近所を一週、まずは近所の公園までとか・・。慣れたら朝出かけてみましょう。近所の人や顔見知りに会ったら勇気をだして「お早うございます。」って言ってみましょう。笑顔でね。今までの自分を捨てる気持ちと前までの自分を取り戻す想いで。言葉にできないなら軽く頭を下げるだけで十分です。それで十分OKなのです。たとえ相手が何も返してくれなくても、嫌な顔をしたとしても、あなたが望んだ反応をしてくれなくても、いいのです!そこで、へこまない、悲しまない、へこたれない!まずは、まずは、最初の一歩です。
「まずはあなたがかわる勇気を持つこと。そして一歩を踏み出すこと。今までの自分と決別しようと努力を始めること」 です。
少々乱暴な表現になりますが、自分が思うほど世間の方々はあなたなんか見ちゃいませんよ。(感心がないし、気になんかしちゃいません。)皆な自分のことで精一杯、例えどこかで出会って「あっ、この人うつ病の人だわ。」って思ったとしてもその場限りだと思います。その後一日中「あの人はうつの人。」と思い続けてくれる人(ある意味でありがたい人?)なんて絶対にいません。世間なんてまずは気にしない。今までの自分を取り戻すことが先なんです。
まずは、一歩、最初の一歩です。一歩踏み出さなければ道は開けません!
そしてこんな言葉を送ります。
「幸福は自己満足 不幸は被害妄想」
by 江頭2:50
私たちの病気(精神疾患等)の療養期間はおおむね3~6ヶ月だそうです。切った、腫れたの病気と違って、「心の病はそう簡単に割り切れた数値で表せられるものではない。」と私はうつ体験者として主張したいと思います。体験者だからこそ確信をもって言えます。
ただ、ここで一呼吸おいて少し考えてみたいと思います。この「3~6ヶ月」という数字はでたらめにでた数字ではないはずです。医学的見地から統計をとった数字だと考えます。だとすれば、おおむね療養を6ヶ月過ぎた者の多くは社会復帰していると予想されます。そして、周りの人々(職場・学校・世間等々・・)もそう理解しているのかもしれません。(まぁ。精神疾患の病に少しでも関心・知識があればですが・・。)
私は「このままじゃいけない・変わらなければ!」「でも変われない」という葛藤が日々長きにわたり続き、そんな変われない自分にいつも嫌気をさしていました。そして、それと平行して「いや、私は病気なのだ。今は休んでいていいのだ。」と無理やり自分を納得させていた時期もありました。
そんな日々が続くある日ふと気づきました。
「今日、先生に話すことがない。」と。
診察の日、主治医に何を話せばいいかと考える日が増えてきました。毎日、毎日が同じことの繰り返しなのだから話しようがありません。それこそ、「朝起きてご飯食べて、昼ご飯食べて、夜ご飯食べて、合間にテレビ見てパソコンかまって夜寝ました。」いつもだらだらと日々すごしているだけ・・。それじゃ話すことがない。何も変えていないから。
初めの頃の診察は、それは、それは思いのたけを話しました。初めの頃は2週間に一度の診察で、少しずつ薬の量を増やし、時に私の副作用のため薬を変えたりしました。慎重に。診察の期間も段々と長くなり、そして月日が流れやがて投薬の量が上限へと達します。当然それ以上は増やせません。そしてまた月日が流れ・・。私は一度だけ先生にこう聞いたことがあります。「薬を変えたらどうなりますか?」と。主治医は「薬を変えてもねぇ・・。」と後は語りませんでした。長年の先生とのお付き合いでしたので何が言いたいかはわかりました。私もそれ以上は聞きませんでした。とういかそのころからうすうす気がついていました。
「薬だけではこの病気は治らないと・・」
これが私の「変わらなければ!」と考え始めたきっかけのひとつです。この「3~6ヶ月」という数字にとらわれる必要はまったくありません。療養期間はひとそれぞれです。ただ、なにか迷った時の判断の基準としてはと私は考えます。どこか頭の片隅に置いておいていただければと思います。
あなたはいつも朝何時に起きていますか?あなたはいつも何時に寝ていますか?どしても「朝が起きられない。」といういわゆる「うつの底」の状態であるなら、朝の静養が必要かと思いなすが、少しでも気力がでてきたなら朝は決まった時間に起きるようにしましょう。
・決まった時間に起きる。
・服を着替える。
・朝食をとる。
初めのうちは、朝食の後にまた寝ればいいのです。必ず定時に起き、服を着替え、朝食をとる。とにかくこれを
習慣にする。
習慣にするまで苦しいでしょうが頑張りましょう。初めのうちは、また寝てもいいんです。とにかく朝は起きましょう。これから目指す社会復帰への第一歩です。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
これは、私の心の礎になっている方から教わったマザーテレサの言葉です。ちょっと本文とは意味合いが違うかもしれませんが、生きていくうえで基礎となる行動(想い)は大切にしなさいということで紹介させていただきました。