私は、2回療養休暇をしました。そして今、職場復帰して3、4年以上たちました。
当時、「死にたい」って何度思ったことか・・。
でもね、でもね、大丈夫。
私だって今こうして生きている。
あの時、先なんて「恐怖」しかなかった・・。 そんなもんしか感じなかった・・。
でも、今こうして生きている。
生きているよ・・・。だって生きてる・・。生きてるし・・。生きてるもん・・。
でも、この位置から脱却するには何かはじめなきゃいけないんだ・・。
明日始めようじゃだめなんだ・・。
今この瞬間から始めなきゃだめなんだ。
それを、毎日継続し続けること・・。
何だっていい、自分を変えるためにね・・・。
私は、牛乳パックをリサイクル用に切る事から始めました・・。
毎日じゃないけどそこから始めました・・。
「どんなことだっていい、人に笑われることだっていい。何か自分が前に進めることを毎日し続ける事。継続し続けること」
きっと、何かが変わっていくと私は思います。
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病気で療養を何回もして、今では職場では後輩に何人も追い越されての状態です。
でも、職場においてもらってるだけでありがたいことです。
って、考え方でいいんです。
よね?
病気だった当時、「ルーキーズ」という漫画にはまり大人買いをして漫画を読んでました。
これは、その漫画の映画のラストに流された曲です。
当時、漫画、ドラマ、映画の中に心に突き刺さる言葉があって何度も何度泣きました・・。
私は、療養中で年を越したことがありました・・。年末年始をどう過ごしたかは記憶にありません。只々不安と寂しさの中、楽しみもなく家族に申し訳ないと思いながら通り過ぎただけだったと思います・・。
でも、次の年越しは別のもっと楽しい感情で迎えましょうよ・・。大丈夫ですって無責任なことは言わないけど、やっぱり諦めてはそこで止まってしまいます。
「何かを明日からではなく今この瞬間から始める、それをこつこつと毎日続ける」
私は、牛乳パックをリサイクル用に切ることから始めました。毎日ではないけれどそんな事から始めました。何でもいいと思います。明日につながる事を明日ではなく、今この瞬間からこつこつと毎日続ける事。
必ず世界は変わってきます・・。
私の実体験からです・・・。
大丈夫、変われます・・・。
なんだかいろいろありますよね・・・。そういろいろね・・。でもそんな中で生きていきましょうよ・・。
何の役に立てないお話だけど私も何度も病気の恐怖から逃れようとして、子供の縄とびを輪にして首突っ込っこみました。
私がそれ以上を実践しなっか理由は2つ。
「自殺が怖かったこと。自殺するとその後の世界で絶対に天国にいけないこと」
この2点があって、私は今を生かさせていただいています。
また、説明しますね・・。
先日、半年まではいかないけれど久しぶりに医者に行ったんです。何だか仕事がミスが多くなって自分に「喝」を入れるってわけじゃないんですけど、昔の苦しかった自分思いだそうかなって思いと久しぶりに主治医の顔見たいなって思いがありました。医者に着くと久しぶりということもあり、多少スタッフが変わっていました。日数も空いていたため初めて会うスタッフに「問診表を書いてください」と渡されました。「夜寝れてますか?」等々・・・。「うーーん、大丈夫なんだけど・・」と思いながら律儀に全部回答してスタッフに渡しました。時間がかかりそうなので一旦外出して戻ってくると、間もなく私の名前を呼んで私を探す看護師さん。長年のお付き合いのある方です。私を見つけると満面の笑顔で手を振ってくれました。
看護師さん、 「今日はどうしたの?」
私、「先生の顔見たくなって」・・。
すると、看護師さん、優しく笑ってくれました・・。
嬉しかったなぁ・・・。
天下無敵とは、
「敵を作らないということです。」
何も仮面ライダーやウルトラマンのように強くなれと言っているのではありません。
「敵という存在を作らないというこです」
それは、あなたに苦しみや悲しみを与える存在を作らない(無くす)ということです。
憎まない・妬まない・嫉妬しない・怒らない等々・・・。
難しいですね?どうすればあなたを苦しめる「敵(存在)」を無くすくとができるのでしょうか?
それは、全ての敵を
「恕す」
のです・・・。
許可の「許す」ではありまあせん。恕です。
愛を持って許すのです。
また、追記します・・。
朝のNHKテレビ小説「とと姉ちゃん」からのお話です。物語は、昭和初期の設定です。主人公の常子は、三姉妹で一番下に妹が小学生にいます。小さい頃父を亡くしてから妹二人を嫁に出すまで頑張るといつも言っていて、けっしって裕福な家庭ではありません。訳ありで祖母の家の隣のお弁当屋に住んでいます。 一番下の妹は隣の家でおばあちゃんからおやつをもらうのをいつも楽しみにしています。おばあちゃんは、そんな妹の古い筆箱を見てこう言います。「ずいぶんとねんきのはいったのを使っているね」と。妹は、「いつもお姉ちゃんのお古なの。服だていつもお古。」と愚痴ります。私は、今も昔もそんなもんだよなと思いました。おばあちゃんは、「そうかい。そうかい」と言って筆箱に可愛い飾りを付けてあげました。妹の孫は大喜びです。一緒に見ていた妻がこう言いました。
「新しい物を買ってあげないのがおばあちゃんのいいところ」
と・・。私は全く気が付きませんでした。
おばあちゃんの家は、由緒正しい材木屋さんでお金もあり新しい筆箱を買うことなど造作もないことです。しかし、あえてそれをしなかった。手作りの世界で一つの筆箱を孫に与えた。貧しいながらも物の大切さを教えたかったのか?
家でその筆箱を見た主人公の姉の常子は、「おばあ様のこういうところが好き」と言いました。おばちゃんの想いを見抜いているようでした。
おばあちゃんは、
「満たされない出来事の中にもいろんな見方、考え方で幸せを感じてね」
と伝えたかったのではないのかなと私は勝手に想い見終わりました。
☆ 箸を正しく持つ
☆ 挨拶をきちんと相手にする。 (相手に聞こえないと意味がない)
私が子供にいわゆる「しつけ」として言っていることです。箸の方は、最近は注意していませんが、挨拶の方は最近知人に「なかった」と聞かされ正座をさせて怒りました。本人は言っているつもりのようで泣いていましたが・・・。この2点だけは、しつけとして教えているつもりです。他は何かしているか?と聞かれると「どうしたもんじゃろのぉ?」って感じです。←朝ドラ「とと姉ちゃん」より。
あと一つ。しつけというか時々こう言い聞かせます。
「悲しんでいる人がいたらどうして悲しんでいるか考えなさい」
と・・。
「人の悲しみがわからない者に幸せになる権利はない」
私の考えです。以前紹介したドラマ「山猫」でも同じようなセリフがありました。
「正しいか?正しくないのか?」
私も確固たる信念みたいなのはあるわけではありません。
でも人を「思いやる心」は持ってもらいたいものであり、持たせることがしつけであると考えています。
大きな地震が起こりました。翌日、出勤して職場の上役がそれについて一言、二言話しいるのが聞こえてきました。社交辞令的に・・・。それ以後、職場は普段通りでした。私も、自ら地震について語ることはありませんでした。普段通りに日常は過ぎて行きました・・。私もいつもの私で・・そう普段通りに・・。
他人の悲しみって所詮「他人ごと」なのかな・・。
「時間て何があっても過ぎて行くんですよね・・」
どこかで、誰がどんなに悲しんでいても、それでもそれとは関係なく時にそれは非常に過ぎて行くんですよね・・・。
私が病気だった頃、沢山の人に助けや救いを求めたけど非情に時は過ぎていきました・・・・。救いの手は差し伸べららえなかった.・・。皆、忙しいだよね・・。自分のことで精一杯なんだよね・・。
でも、少しでも他人の悲しみにについて「感じる」人でありたい・・。悲しんでいるんだなと想う人でありたい・・。
これって、病気を経験してなかったら、私はそんな事にそんなに感じなかったんでしょうね・・。