あなたのタイミングで必ずカウセリングは受けてください。なぜ必要かと言うと、
「第三者が、あなたのストレスに対面した時の間違ったものの捉え方(思い方・考え方)を正しい考え方に導いてくれ、それを習慣づけるようにしてくれるからです。」
いつかまたじっくりとお話したいと思いますが、ざっくりとはっきり言うと、
「どう考え方を変えるのか!ストレスを柔軟に回避できる考え方をどうどっしりと腹の底に身につけるのか!」
です。これができていないうち(確立できていないうち)は、社会復帰を止めたほうがいいというかやめるべきであり、絶対に復帰するタイミングではありません。私は、はじめカウセリングを受けていませんでした。あまり関心がなかったのだと思います。結果みごとに失敗(再発)しました。
「心の病みの根本がなんだ変わっていなかった。」
のです。ものの捉え方がなんにも変わっていなかったからです。
カウセリングと言ってもカウンセラーを名乗る人たちの資格は本当に様々です。医師資格を持つ精神科医から、えっ?って何?まで・・・。お金も結構な金額だし・・。ひとつの方法として、一度近くの自治体(区・市町村役場)社会福祉協議会等々をたずねたり、嫌なら電話でもいいから聞いてみるといいと思います。無料でカウセリングを受けられる機関もあります。
カウセリングは、最初のうちは心身ともに疲れると思います。最初のうちは我慢してください。帰ったら寝ればいいんです。それと限られた時間なので、
・ 何を相談したいかを箇条書きでもいいから必ずメモして行くこと。
です。せっかくの時間に「愚痴」だけを言いに行ったのではなんの進歩もありません。そしてカウンセラーはあなたの「お友達」ではありません。気が合わないからって、コロコロ変えないでください。なぜならカウセラーは、あなたの心の持ち方がどう変化していくかを見てくれて、それにもとづいてあなたにいろいろとアドバイスをくれます。
でも、どんなカウンセラーに出会えるのかは無責任な言い方ですが「運」だと思います。私は、本当に良いいカウンセラーに出会えたことに感謝しています。ただどうしても相性があわなくて、苦痛を感じることが多多あるようでしたら変えるのもてかもしれません。
私のカウセラーは、私の顔色を見てくれていました。「○○さんいい顔になってきましね。」「今日は笑顔がいいですね。」等々語りかけてくれました。
いずれにせよ
「あなたの考え方を変える。」のが一番の目的なのです。
あなたが良きカウンセラーに出会えますように・・・・。
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年に数回しか行かないお気に入りの居酒屋で、なぜかいつも有線で流れており、この曲もお気に入りなりました。
Acid Black Cherry
病気について知りたいことがあれば、
・ 主治医に聞く。
・ 薬のことはかかりつけの薬局の薬剤師に聞く。
・ 信頼のおけるカウンセラーに聞く。
・ 信頼のおける本から知識を得る。
私も療養中は早く治したい一身で、ネットで「うつ病」を調べまくりました。確かにきちんとした情報もたくさんありましたが、今振り返ってみれば誤った間違った情報もたくさんありました。ネットから得る情報は、あなたにとって必要でない情報のほうが多く、不利益をもたらす可能性が多いと思います。なにが一番怖いかと言うと「医者ではない素人によるうつ病の治し方、薬の処方の仕方」です。うつ病は、百人いれば百通りの原因で発病し、治療方法も百人いれば百通りにあるはずです。たとえ同じ薬を朝、昼、晩、各々同じ量を飲んでいたとしても、心の有様までは同じ状態ではないはずです。当然体調だって違うはずです。安易に自分と照らし合わせるのは本当に危険です。治し方が一緒であるわけがありません。
私は、医者に「うつ病」と診断されて薬を処方されてからしばらくは薬を飲みませんでした。理由は、
・ こんなのを飲んだら人間失格だ。
・ 薬なんか飲まなくたって治してやる。
そしてネットから得てしまった
・ 薬を止めた時におこる離脱症状。
上二つは仕方なかったかもしれませんが、最後の理由は、今となっては自分でも理解に苦しみます。飲んでもないのに、その後のことを心配していたのです。「のどが渇く、眠気がする」だったでしょうか・・。なぜかこの理由が心を一番支配して、薬から私を遠ざけました。なぜかこの「離脱症状」という語句が目に飛び込んできてしまったのです。病気のせいなのでしょう、今思えば当時は正常な判断ができなかったのでしょう。
あの時きちんと薬を飲んでさえいれば・・・。
離脱症状・・ → そんなものは医師の指示によりきちんと減らしておけば最小限か「無くて済む。」ことです。
最後に
当然このブログもネットをかいしているものです。今までの話と矛盾するものであることを私自身も認識していることを申し添えしておきます。
私は、休職中にひょんなことから学生時代の友人が同じうつで休職中だということを知りました。若い時に、年に数回他の友人を交え呑んで交流をしていましたが、ここ数十年は年賀状を交換するだけの付き合いでした。そんな時、同じうつ病の話し相手を初めてもった私は「自分のことをわかってもらえる」と喜びメールを送るようになりました。彼は、遠方にいたためメールのやり取りだけで電話で話すことは一度もありませんでした。私が一方的にメールを送るだけで、彼はそれについて返事を返すだけでした。そんなやりとりがしばらく続きましたが、日がたつにつれ段々と彼のメールの内容が変わり始めました。そう「豪」になってきたのです。彼は、復職の目標が明らかになってきたのでしょう。そして初め職場復帰する人のひとつの典型的パターンである「よし!俺はもう大丈夫。治ったんだぞ!怖いものはない!」状態になっていたのだと思います。これは私の想像で、直接彼に聞いたのではありませんから信実はわかりませんが・・。やがて彼からのメールは「なぜ○○しない、治すきはあるのか?」というような今で言う上から目線の内容になっていき、私は彼にメールをするのを止めました。もともと彼からメールが来ることは無かったのでそこで彼との交友は「ジ・エンド」でした。今、彼がどうしているかは知りません。彼も、私が今、どういう状態であるのかを知ろうとしていない「事実」がここにあります。
うつの発症の原因は人様々です。そして社会復帰を目指す過程も本当に人様々です。数ヶ月から数年と・・・・。その努力する内容も本当に様々です。「うつ友」があなたとおなじ心の状態の時はいいのですが、そんなことは永遠に続きせん。(同じと思っている時もそれはたぶんあなたの思い過ごしだと思います。)どちらかが社会復帰のめどが立ったとき、同じように目どがたっていればいいのですが、そうはうまくいきません。復帰のめどがたった者は、とにかく社会に適応することに最大限努力し、それを邪魔する「ストレス」は最小限に止めようと努力します。当たり前のことです。その時にまだうつ友から「死にたいよ~、怖いよ~、嫌だよ~」と問いかけられたらあなたはどうしますか?どう感じますか?
うつ友を持つなとは言いません。でも信頼を度数で表すとしたら腹5分目、いや腹3分目位に止めるべきです。例えば、病院であった時のみ話す程度とかに止めるべきです。なにも人間関係を気薄にしろとは言っているわけではありません。私たちの心は今、特別な状態なのです。動作も無く病気にかかる前にはできた新たに人間関係を築きる行いを、今は止めたほうが無難です。あなたが傷つく前に、またあなたが人を傷つける前に・・と私は思います。
ベストセラー渡辺和子著「おかれた場所で咲きなさい」幻冬舎 の中で著者は、「100%人を信頼しちゃだめ。あとの2%は相手が間違った時の許しに取っておきなさい」と述べております。一理あるなと思いますが何か寂しい気がします。ここで矛盾していますが私はある方からこう教わりました。「人との付き合いはどんな人であろうと分かり合えるわけがない。だから腹8文目で付き合っていきなさい。」と。
なるほどと今は思うのです。病気したからわかる気がするのです。あの悲しみ、苦しみ、あの恐怖の体験は自分でしか決死ってわからないのだから・・。