今から24年位前に「三宅裕司のいかすバンド天国」という歌番組が深夜に放送されていました。ざっくりと説明しますと、アマチュアバンドが毎週5・6組、事前に収録をした曲をプロのミュージシャン、音楽家等が審査し、5週勝ち抜くとチャンピオンになるというものでした。番組は深夜にもかかわらず人気番組となり、当時「バンドブーム」という流行語を生み、そこから多くのバンドが「プロ」となっていきました。当時はアマからプロへの登竜門的番組となっていました。今でも活躍しているといえば・・・沖縄のバンド「BEGIN」でしょうか。ヤクルトスワローズのチャンスの時のテーマ曲も当時のバンド「JITTERIN'JINN」の「夏祭り」という曲です。今はカバーされていてそちらのほうが馴染みがあるのではないでしょうか・。
さてこの曲は、当時のバンドの曲なのですが、なぜだかふと思い出し、だめもとと思い検索したところなんと動画がありびっくりしました。「懐かしいな・・。」と一人感傷にひたりました。
『AURE ドリーミングナウ』
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日曜日に「24時間テレビ」のドラマを半分寝ながら見ていました。主演は「嵐」の大野君です。重い病気になった彼が、日ごとに少なくなっていく生存率をみつめ、生と死との葛藤を描いておりました。大野君には病院で友人ができましたが、そんな彼も重い病気で人生の大半を病院で過ごしており、彼は病院で亡くなっていく人々の数を数えてしまうという生活を送っていました。そんな中、二人の顔見知りとなった人も死んでいく・・。やがて、彼は大野君を誘い病院の霊安室へと向かいます。そこで彼は、
「これが僕の精神安定剤なんだ。」(確かこんなニュアンスだったような・・)
と言って棺桶に寄り添い頬擦りをし始めました。
私は、その光景を見てぞっとしました。
しかし、時間がたつにつれ彼の行動がなんとなくわかる気がしました。彼は、いつ訪れるかわからない「死」への恐怖に対して、どうしようもない感情をそんな中でも安らぎを求めたかったのでしょう。「死」に対する「死にたくない・」という欲求。私が病気で体験したのは、どうしようもない、いつ襲ってくるかわからない「恐怖」から逃れたいと感じたときのあの「死にたい。」という欲求。相反しているようで、根底では繋がっているんじゃないかと思います。だから私は彼の奇異な行動が理解できた・・。
病気をしてから出来事のものの見方・視点が変わったように思います。今回の件で言うならテレビを見るのは見るのですが、この場合、彼の立場となって自分だったらどう感じるのだろうか?と。
いろいろと考えさせられるお話でした。
ドラマ「半沢直樹」を見入ってしまいました。「死を選ぶな近藤!!」って。精神病患者の末路がいつも一緒じゃつまらない(悲しすぎ)じゃないかって思いました。いい年こいてドラマに夢中になっていた。
最後に彼は人としての
「誇り」
を取り戻してくれた。
私もこれからの人生を強く生きていきたいと思った。
今思う想いを簡潔・素直に書いいたため、番組を見た人しかかわからない文面になったことを深くお詫びします。
デレビで自殺した芸能人について街角インタビューをしていました。40代の女性でしょうか、「えつ、どうしてですか?」と言っていました。「くだらないこと言うなよ。死んだ本人しかわからないよ。どんな悲しい出来事があったかなんて・・。」と私は思いました。話はかわります。
私たち夫婦は、結婚してから数年は子供を作らないと決めていました。1年がたった頃からでしょうか、「子供はまだなの?」と聞かれるようになりました。「今は計画的に作ろうとしておりません。」と言おうものなら「なぜ?どうして?」と返されることは容易に想像がついたのでいつも適当に笑ってごまかしていました。が、まぁー何度もよく言われましたのでほとほと嫌になった時期もありました。
子供がいない夫婦には、だいたい以下のように分かれるかと思います。
1 今は子供を作る計画(意思)がない夫婦。
2 子供は欲しいが、なかなかできない夫婦。
3 子供は欲しいが、医学的に子供を授かることができない夫婦。
4 こどもを作る計画(意思)がない夫婦。
「子供はまだなの?作らないの?」の質問を子供いない夫婦にする場合、なぜ2か3の人がいるということを考えないのでしょうか?思いやれないのでしょうか?そんな言葉を浴びせられ、傷つく人がいるということがなぜ想像つかないのでしょうか?確かにこの質問は、社交辞令的な要素を大いに含んでいる感はあります。久しぶりに会う結婚して数年のカップルには、会話の切り出しとして用いられやすいことにはわかるような気はします。 いちいち会話のなかで相手の思うことまで考えていたら、会話は成り立たないと言われればそのとおりかと思います。しかし、この質問は会話の中で「突発的」に出てくる語句ではないと思います。あらかじめ用意したものとまでは言いませんが、突然にして、頭の中から湧き出てくる質問ではないと思います。
「なぜこれを言ったら無抵抗に傷つく人が世の中にはいるということが考えられないのでしょうか!!相手を思いやれないのでしょうか!!」
以前、職場の後輩の女の子がこの質問をされました。彼女はお腹をさすりながら笑ってこう言いました。「この中にいるといいのだけどねぇ。」と・・。彼女になかなか子供ができないことに悩んでいたことを私は知っていました。同じ場所にいて本当に切なかったことを今でも覚えています。言ったのが、彼女の叔母さんだったことも・・・。
いつだったかテレビで言っていました。
「今の日本は想像力が欠如していると・・。」
私もそう思います。
「今の日本は想像力(相手を思いやる心)が欠如していると・・。」
あなたに何人の人が訪ねて来てくれましたか?私が入院、休職中に来てくれた人は4人です。職場の職務遂行のためが一人、職場の保健衛生の立場でが一人、復職後に職場での私の管理的立場になっていただいた方が一人、職場の先輩が一人です。(前者3人は今でも本当に良くしていただいております。)多いんでしょうか?少ないんでしょうか?
利害関係抜きに私を訪ねてくれた人は実質一人です。入院、療養中に誰も私の所に来てくれないことに、悲しいやら、切ないやら、ただでさえ世間から疎外感・孤立感をもっていましたから、まぁー世間の人々を恨みましたね。
復職の後、いろいろ考え悩んだ結果、以下2点のように考えることにしました。
・40数年生きてきてその程度しか人間関係を構築できなかったのはすべて自分の非である。
自分が「親友」だと思っていた友人も、その他の友達も、知人も、同僚も、後輩も、近所の皆様も、自宅を中心に半径4km以内にいるおじ、おば、いとこ(10人弱)も、親戚一同等々に対して・・・。
・人は自分のことを相手に完全分かってもらうことは不可能だから、人とは腹八分目で付き合おう。
以前にもここで書きましたが、相手は当然ながら自分ではないのだからどんなに頑張っても自分のことを100%分かってもらう(理解)事はできない。理解し合えない部分があることを認識しておこう。
だからって、これからを気薄に人と付き合っていこうってことじゃないのです。いや、今まで以上に人との付き合い方、かかわりあい方を大切にしていきたいと思っています。病気をした結果、いかに人と人の結びつきが大切かを学びました。これは私にとって大いなる収穫であり財産です。
「うつから学んだことをこれからの人生に大いに生かす。」
うつから学んだと、これから学ぶこと、これからの人生に大いにいかしていこうじゃありませんか!私たちだからこそわかったこと、気づいたことをおおいに生かしていこうじゃないですか!
おまけ
先日、近所に出かけておりますと前方におばを発見し、おばは反対側を向いておりましたので挨拶をせずに通り過ぎようとすると、目ざとく私を見つけ私の名を呼び「おい、仕事は毎日行っているのか?そうかよかったな。」と言いました。
私は「ありがとうね。」を半分、「何をいまさら・・。」を半分思いその場を立ち去りました。
時々「いい顔になったねぇ・・」ってカウンセラーの方に言われたりします。「旦那さんいい顔していたわよ」って妻が近所の評判を聞かせてくれます。残念ながら突然に二枚目になれるわけがなく、それはいい顔つやになったということなのでしょう。療養中に比べれば断然笑うようになったし、あの頃の顔を想像すればそれは今の方が「いきいき」しているだろうなと思います。しかしながらいまいちピンとはきていませんでした。
病院に行けば顔なじみが何人かいます。けっして話すわけではないけれど、長いこと通っていると自然と顔なじみが増えちゃうのですよね。
先日、病院に診察に行くとある人を見て「あつ、この人変わった。」と思う出来事がありました。顔なじみの一人ですが、年のころは20代後半の男性です。その日は明らかに顔つきが変わっていました。「キリッ」って感じで身なりもきちんとしています。診察後に仕事に行くのかなと思いました。今までの彼は、言葉は悪いですが、[ぬぼーー。]ってした感じで、いつも服装が寝て起きたまんま診察に来ましたって感じでした。明らかに「人」が変わっていました。
これがみんなの言う「いい顔になった・」ってことなのかなと実感しました。
そこに変わろうと意思があれば、必ず人は変われると思います。
AKB48総監督高橋みなみさんの「努力は必ず報われる。」とは私も思いたいですが、現実はそうはいかないこともあります。しかし私たちは、這いずり回って、血反吐を吐いて、もがいて、もがいてそこから変わろうとする努力をすれば必ず変われます。それが、明日なのか、数年後なのわからないけれど、少しずつでも毎日継続していけば道は開けるはずです。
あなただって絶対にいい顔になれます!!
追加 8月26日(月)
↓
一人の女性を紹介したいとおもいます。
それは、私が数回目の職場復帰をする朝の出来事です。私は、数年ぶりの職場を前にただただ不安だらけでした。意を決し建物に入ると一人の女性が「おはようございます。」その後何かを言ってくれました、確かお久しぶりみたいなことを・・。そして彼女はこう言ったのです。「またこれからもよろしくお願いします。」と同時にそれはそれは深々と頭を下げました。
「えっつ?なに言ってるのこの人、おかしいんじゃないの?」
って思ったんです。だって誰がどう考えたって立場は逆でしょ。
どうしてそんなこと言うの?どうして今まで社会からドロップアウトしてて、やっと社会に顔出せれた高々一日目の人間にそんなことを言うの?世の中にそんな人がいた・・。
とその場はただただ驚嘆しました。
そして私は、嬉しさと・不安と・驚きを胸に職場の部屋のドアを開けました。
彼女は、私より4,5歳年下の既婚のバイトの方です。実は、彼女とは少なからず縁があります。私が発病し休職したさいに私の仕事の穴を埋めてくれたのが彼女でした。仕事ができた彼女はいまでもバイトとしていて続けてくれてます。
たまに休憩所で出会うと今も気さくに声をかけてくれます。
彼女には「品」みたいなものを感じます。決死ってお高くとまってるわけでなく、どちらかといえば庶民派だけれど・・イメージでいうと女優の『松下奈緒 』さんみたいですかね・・。どことなく似てますね、容姿も・。
人は、他人の悲しみをどれだけわかろうかとすることで、どれだけわかちあえるかでその人の幸せの訪れが違ってくると思います。
人の悲しみがわからぬ人間など幸せになれるわけがないと思います。
私は、死ぬまでに彼女のような人になれるのだろうか? まったく自信がない・・。
しかし、日々努力はしていきます。
私は、彼女のような「人」でありたいから・・。
病院に通いだして何ヶ月か過ぎた頃だったでしょうか、ふと壁に貼ってある張り紙を見てみると「A先生は何ヶ月間療養します。」とありました。私は何にも気にもとめずいたんですが、またしばらくたつと「B先生は何ヶ月間療養します。」とありました。ある時はそんな張り紙が並んで張ってあることもありました。C先生、D先生のように・・。私はやっと気がつきました。
先生もうつ病にかかってしまっていることを・・
これは、私の憶測ですからなんの病気になったかの本当のとこははわかりません。が、間違いないとおもいます。以前聞いたことがありす、「患者の診断をしていて自分自身もうつ病になってしまう先生がいると・・。」無理もないきがします。患者のもつ負のパワーみたいなものは半端ないと思います。それを、毎日、毎日受けていたら・・。
私は、そんな先生たちのことがなんか好きです。なんか誤解を招きそうな表現ですかね。うまく表現できなくて歯がゆいんですが、どう言えばいいのか・・。決して病気にならない先生方を嫌いだというのでわないく、人として「愛しい」っていうのかなぁ・・。
そういえば、長いことそんな張り紙を見ていません。
それは、それでいいことです。
先日、学生の頃の「同窓会」の通知が届きました。
「さて、どーしたものか・・。」と思案にくれました。
日程的には、なんの予定もなく本音は行きたかったです。が、行きませんでした。私たちの年代になると酒の席では必ず「病気自慢」が始まります。やれ、糖尿病だ、通風だ、等々です。そんなときにまさか「俺はうつ病だ。」なんて言えませんよね。
まぁ半分は冗談ですが、実際に会に出席すればいつ話題の中で「うつ」の話題が取り上げられるかわかりません。誰かが「うつ」と発しれば間違いなく私の体は、「びく」っとなり、その後の展開に全神経を集中させ、私はうつ病患者だけれど知られないように話をあわせるか、知っている者もいる中からどう話をみつくろうのか、誹謗中傷の話をされてもどう場を壊さないようにするのか・・。
せっかくの同窓会にそんな「気を使う」なら出席は止めようと思いました。
今度出席をするときは、多分みんなが定年した頃になるかなと思います。そんな頃なら笑って「俺ってさぁ、うつ病になっていた頃があってさぁ。」なんて話せるようになっていると思います。(本当はもっと強い人間になりたいと努力しているのですがね・・。)
同窓会の開催の日もすっかり忘れていたその当日、一通のメールが届きました。
「二次会に来いよ。」
彼が、私の病気を気遣ってのメールだったのかはわからないけれど
私は、「行きたくたって行けないよ、空気読めよ。」と初めに思いました。が、その後、自分を恥じました。
「俺って器が小っちぇなぁ・・・」
と・・。
これは先日書いた「天山さんと出会う」の話ではありません。皆さんのブログを拝見していたところ、
「?、タイトルが似てる。話のもっていききかた似てる。出てくる語句が似てる?!」
主に狭い分野での話を書いておりますので、似てくる部分が出てくるのは当然なんでしょうね・・。みなさんもこんな経験があるんでしょうか?
「持ちつ持たれつ。」
かな・・・。
私達の病気(精神疾患)は、絶対的に物理的(職場、学校を一時的に休む)に休息を必要とすると思います。休む期間は、だいたい主治医等が決めるんでしょうが、本当のところはその機関はあなた自身がわかっていますよね?と言うかそれはあなた自身しかわかるわけないですよね。
『休養期間を決めるのはあなた自身です。』
何がどうしたって、誰に何を言われたって、どうしたってどうしようもない時期はあります。その時は理屈じゃなくだめなんです。その時に、前に進むため『動け』とは言いません。それは、誰がどう言おうが『休息』の時です。
さて、休息を止めるのはいつなんでしょうか?止めるとは、休息から一歩踏み出すその『時』のことです。それは、誰でもないあなた自身がその『時』、もしくは『その時季』がわかると思います。それは、あなたしかわかるわけはずがありません。
『このままではいけない。』
そう思いだした時、時季がまさにその『時』です。それを少しづつ、少しづつでいいですから、
『継続。』
していきましょう。慌てず、急がず、少しづつでいいから継続してください。
『かわろうとする意思ある者は、そこから必ずかわれます。』
『自分がかわろうとしない限り、その場所から絶対に動けません。』
先日、ラーメン屋さんのカウンターでラーメンを食べていると、ひとつ席をあけ男性が座りました。なにげなく見てみると「??!!」もう一度みます。「似ている、似ている。」「夜に帽子をかぶり、茶髪の髪を後ろで縛って個性を主張している。」私の思考回路はふる回転を始めました。「そうだ、今日この○○県で開催していれば?」と携帯で検索し、「ここの県で開催してる。」とわたしの思いが確信へ変わりました。
「○○さんですよね?」
「違います。」
「握手してください。」
彼は握手してくれました。
彼とは
天山広吉
さんです。彼は、新日本プロレスというプロレス団体に所属するプロレスラーです。かつては、今は国会議員でもあるアントニオ猪木さんが活躍していた団体です。昔は、夜の8時のゴールテンタイムで生放送してたんですが、今は、深夜に放送されていて私はいつも録画してみています。
さて、彼はなぜ「違います。」と言いながら私と握手してくれたのか・・?プロレスは、一人対一人の試合を「シングルマッチ」、二人対二人の試合を「タッグマッチ」と呼びます。そして、天山さんはタッグマッチの多くを「小島聡」さんと組みます。そして、彼らのタッグ名を『天コジ』と言います。
私は、どうしても天山さの名前が思い出せずとっさにこの『天コジ』を思い出して、「天コジさんですか?」と言ってしまったのです。そこで彼のプライドとして「違います。」って言ったのかなと今はおもいます。でも彼は快く握手をしてくれました。
天山さんは、私より先に店を出て行きました。
私は、何度も何度も「やったーーーー!」と心でつぶやきながら小さくガッツポーズをしました。
↓ この方です。
ネットにこんな記事が載っていました。(一部抜粋)
『うつの病歴がある人は、生命保険に入れない!?
再発率が高いうつ病の会社員は、休職と復職を繰り返す場合も多い。「解雇の猶予」「休職中も最長1年半の傷病手当金が給料の3分の2、健康保険組合などの保険者から支給される」など、休職制度には“サラリーマンの生活を守る”というメリットが多いためだ。だが、実は休職制度にはデメリットも多いことを忘れてはならない。
「最大のデメリットは、うつ病の履歴があると生命保険に加入できない可能性が高いこと。また、うつ病で休職歴があると経歴に傷がつき、転職活動に影響が出る可能性もあります」とは社会保険労務士のA氏。
企業には「採用の自由」があるため、同意を得れば面接相手の精神疾患歴を聞くことができる。嘘をついて、あとで病歴が発覚すると「病歴詐称」とみなされるのだ。
転職せずに元の職場に戻るから平気というわけにもいかない。責任ある仕事は任せづらいという人事の意向で降格になったり、ヒマな部署に異動になったりして、給料・待遇が下がる場合もあるのだ。
さらに、休職制度は、今後うつ病患者にとって厳しい制度に変更されていく傾向にあるという。
「そもそも日本の休職制度は、手術をすればいずれ治る、復帰の見込みが高い肉体的疾患の人に向けてつくられた制度。再発率が高い精神疾患の人の度重なる利用は、“想定外”だったんです」(A氏)
精神疾患による休職の増加にともない、傷病手当金の出費がバカにならない昨今。労務不能の社員を抱える金銭的余裕のない企業は、休職制度を含む就業規則全体を厳格化しているという。
「何回まで復職が可能かを就業規則に明文化したり、復職後も、週に何回以上の欠勤が続くと休職中とみなすなど、細かく規定しているのです」(同)
うつ病と診断されても会社に言い出せなくなる時代になる!?』
たしかに生命保険会社側からみてみればごもっともな意見だと思います。何度も再発されては商売あがったりってとこですもんね・・。
『生命保険の解約はくれぐれも慎重に・・。』
追伸
前に今話題のドラマ「半沢直樹」について触れましたがその後について・・。主人公半沢直樹の友人Aは、上司のパワハラ等にあい、自律神経失調症のため半年休職し復職しました。その後、その休職をばんかいしようと懸命に2年間働いた後・・、銀行とは関係ない関連企業への出向になりました。出向とは名ばかりな二度と銀行には戻れない片道切符・・。給料も削減・・とここまで記しました。そして、その会社でAは
会社の一室に追いやられ、どうでもいい仕事に就かされる
というお決まりのパターンになりました。「やっぱりね・・・。」と私は思いました。
しかし、原作ではAは主人公「半沢直樹」とともに会社に反逆するそうです!
・・・もし反逆して元に戻れたとしても所詮ドラマの中の話です。悲しい話です。
私たちっていつまでたっても世間の厄介者なんでしょうか・・?