『ごわ算で願いましては・・。』
話題になった「赤ちゃん取り違え」ニュースを下記に引用します。
「昭和28年3月30日の生年月日に時間を戻していただきたい。実の両親の話を聞いたとき、『この両親に育ててもらいたかったな』と」(取り違えられた原告の男性)
育ての親に感謝を示しつつ、原告の男性は60年前の出来事を思います。訴えた原告の男性は、1953年3月30日の夜、ここで生まれました。その13分後。同じ病院で、別の女性からもう1人の男の赤ちゃんが生まれます。2人の赤ちゃんは分娩後すぐに沐浴を受けましたが、その後、何らかの原因で取り違えられたとみられています。
2つの家庭は大きく経済環境が異なっていました。訴えた男性は本来のA家ではなく、B家で育ちます。2歳のときにB家の父親は死亡。三男も早くに命を落とし、一家4人の母子家庭に。生活保護を受けながら、六畳のアパートで4人暮らし。当時、同級生の家庭に普及しつつあった家電製品が1つもありませんでした。
「小さいころから、かなり貧しい家庭でした。大人たちから、にらまれたというか。冷たい目で見られ続けていた」(取り違えられた原告の男性)
原告の男性は家計を助けるため、中学卒業とともに町工場へ就職しました。60歳となった現在も、トラック運転手として働いています。
一方で、本来B家にいるはずが、裕福なA家の長男として育てられた男性は対照的な人生を送ります。自宅は庭に池がある豪邸。両親が教育熱心だったこともあり、大学進学時まで家庭教師がついていました。A家の4人の子どもは、いずれも私立高校を経て大学、または大学院に進学。取り違えられ、A家に育った男性は大学卒業後、一部上場企業に就職。現在は、不動産業を営み社長を務めています。しかし、三人の弟とそして貧しいB家で育った原告の男性はずっと「違和感」を覚えていました。
「(B家の)母親に小学生のとき、2、3回言われたことがあるんです。『長男はお父さん、次男は私、お前は誰に似たんだろうね』と不思議そうに(B家の母親が)言っていたのは覚えています」(取り違えられた原告の男性)
容姿などの違いに違和感を覚えた実の兄弟が、2009年、病院に残された資料などをもとに原告の男性の所在を突き止め、DNA鑑定を行いました。取り違えが明らかになったのは去年のことでした。
本来、裕福なA家で育つはずだった原告の男性。彼の「実の親」はふたりともすでに他界しています。この両親の損害について裁判所は・・・。
「一人の子を事故で失ったことに匹敵する重大な損害である」(裁判所)
一目会うことすら叶わなかった実の親子。
「(実の兄弟に)会ってから、両親の写真をもらいまして、できれば生きて会いたかったという思い。写真を見ると何か月間は涙が出ましたね」(取り違えられた原告の男性)
原告の男性は、今もB家で「血の繋がっていない兄」の介護を続けています。東京地裁は26日、取り違いを認め、病院側に3800万円の支払いを命じました。
原告の男性は自分と取り違えられた男性についてこう語っています。
「話したこともありませんし、会ったこともありません。彼も取り違えられた被害者ですから、憎いという思いはない。犠牲者ですよね」(取り違えられた原告の男)
病院側は「対応を検討している」とコメントしています。
私の感想を時系列で書きます。
まず、「3800万円」を「安い」と思いました。が、後に原告側が請求している額が「2億なんぼ。」と知ってやっぱりそうですかとがっかりしました。
次に、育ての親のお母さんはいったいどんな思いをしているんだろうと自分なりに察しました。育てた息子に「本当は、裕福な家庭に育ちたかった。」と言われた母として・・。
そして、一番疑問に思ったのが原告側に弟たちがいることです。
「なぜ、本当は裕福に育つべきとされる兄の弟達(原告の実の弟たち)が、今いる兄(本当は裕福とされない家庭にそだつべきっだたとされる兄)を高々顔が似てない・容姿が似てない?というだけでDNA鑑定をし、さらに病院までいって突き止めるでしょうか?世の中に、顔の似てない兄弟姉妹などそれこそごまんといます。私は、どうしてもそこが腑に落ちませんでした。そしてしばらく私なり考え「この裁判を一番最初に起こそう!」と考えたのは誰?と考えた時すべてがすっきりしました。
そして、ここからは私の偉大なる妄想です。
「真実」は一番初めにわかって(知ってしまった)おり、そのこと(現象)で得られる欲望を達成するために、その後の行動はすべて後付で行われていたことではないかと・・。
先日、カウセラーと話す機会がありこんなことを言ってました。
「世の中は、なんどだってやり直しがきくんだよ・・。そろばんのごわ算のように。」と。そろばんをやったことがある人はわかると思いますが、「ごわ算」とは、そろばんで一度計算をして次の計算に移る時に、一度動かした駒を再度計算をしなおすために横一直線に整列・並べ替えさせる行為をいいます。
私は、ここでいう「本来は裕福といわれる家庭に育つべき実の兄」が神様に、
「人生終盤に差し掛かってきましたね、ここまであなたはいろいろ事を、この世に生を受けてから学び(苦労をして)ましたね。そこから得られたことはあなったにとって必要なことっだったのですが、それを良し(善)としますか?それともそれを余分なこととだった(悪)としますか?」と質問したんじゃないかと思います。
今回の出来事は、本当に同じような境遇・設定でテレビドラマで幾度となく放送されてきました。古くは、あの山口百恵さんが演じた「赤いシリーズ」で・・。(若い方々はわかりませんよね。)でも、決まってラストはこうでした。主人公は、産みの親を探し体面します。が、育ての親にはこう言います。
「産んでくれたのはあの方です。でも私の本当の親はあなたです・・。」
と・・。
彼らは、3800万円を手にしたときそれまでの人生に対して「ごわ算でねがいましては・・」と言われるんじゃないでしょうか・・。良くも悪くも・・・。そんな気がします。