うつ  一歩進んで二歩さがる。それでも進んでる!

『初詣に何を願いますか・・?』

 皆様は、初詣に出かけられるのでしょうか。そしてそこで何を願うのでしょうか。
「家族が1年無事幸せに暮らせますように・・。出世しますように・・。試験に合格しますように・・」そして「病気が治りますように・・。」等でしょうか・・。

 残念ですがその願いはすべて神様には届かない様なのです。なぜか?それらはすべて

                             『欲』

 だからなのだそうです。神様は『欲』を受け入れてくれないそうです。だとすれば私たちは『神様』を前にした時、どうすればいいのでしょうか。私はこう教わっています。

神には、

              『願わず、頼まず、ただ祈るのみ(無心)』

です。

 ただ、ただ、無心となり『祈る』のみです。神様なのだからすべてはお見通しです。私たちの考え「想い」などわかってくれています。だからそこに『欲』を生じず、ただただ『祈り(無心)』で相対すれ良いそうなのです。お願いするとすればこうだそうです。例えば、「私に筋肉を与えてください」と願えば神様は何を与えてくれるでしょうか?力強くなれる筋肉でしょうか?筋肉を豊にするプロテインでしょうか?神様の与えてくれるのは『エキスパンダー』(筋肉をつけるための増強機材)です。それを成し得るための『試練』を与えてくれるそうです。

 あなたがただ、ただ、いわゆる《畏敬の念》を前に想うことは

              『願わず、頼まず、ただ祈るのみ(無心)』

になることだと思います。

 私たちが願うのならば「神様、私は病気を治します。どうか見ていてください。」と約束してください。あなたがそして努力するならば、

絶対に神様はあなたに『力(勇気)』を与えてくれます。私は、神とはそういう存在だと確信しております。

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『ちょっと充電中です・・・。』

 見に来ていただきありがとうございます。

長い間、聴き続けている一曲です。今では親子で好きな曲になりました。



                『 松任谷由実   やさしさに包まれたなら 』


『思い出にかわるまで・・・』

 
 愛するもの奪われても 希望や夢壊れても
 それでも今きみは生きている わかるかい?

 シャングリラ 歩きだそう 傷みをおそれちゃいけない
 シャングリラ 聞こえるかい 傷みから逃げちゃいけない
 気づいたんだ シャングリラ 傷みに慣れるのではなく
 大事なのは シャングリラ その傷みを忘れない事

 私は、このブログでこの病気「うつ病」はいつかわからないけれどきっと「治ります。」と言ってきました。「治る。」と表現してきました。
でも、きっとうつ病や精神疾患という病気のたぐいは、その根底にあるもの、病気の基(原因のようなもの)は「記憶。」だと思います。それが私たちを苦しめるのだと想いますます。でも、いろんな事があって月日がたってそれが

                               『思い出。』

 となった時、その時が病気が治ったというのではないかなと想っています。




『世の中のほとんどは思い込みで成り立っている。』

 子供が学校で大いに盛り上がった話だそうです。壁にこんな張り紙があったそうです。


                              『冬物野菜はくさい』

 
皆様はどう解釈されたでしょうか?

「冬物野菜、白菜」でしょうか? 「冬物野菜は、臭い!」でしょうか?

子供たちは、「臭い!」の方で大笑いしたとの事です。

 先日、職場の忘年会があり私は幹事をしました。後日、会費を持ってきた後輩の女の子が「すいません、細かいのありますか?」と聞いてきました。会費は、一人3,300円です。私は、「ちょっと待ってね。」と、千円札の枚数を確認してから彼女の手を見ると、千円札三枚と500円玉が一枚でした。

 私は、昔から「思い込んだら命がけ」ではありませんが、この手の思い込みが時々あります。こんな勘違い程度ならいいのですが、こと、仕事でこの「思い込み」が時々ありますので、その度へこんでおります。
 私は、

                       「世の中は、ほとんどが思い込みで成り立っている。」

 と、教わりました。アンケートで職場での悩みが一番多いのは『人間関係』だそうです。これは職場だけの話ではないと思います。そして人間関係において、この「思い込み。」が大いに幅をきかせているようです。「あの人は私の事をどう思っているのだろうか?」と考えた時、その方に「あなたは、私の事をどう思われているのですか?」と面と向かって聞かない限り、あなたの考えは「思い込み。」でしかないと思います。会ったときのその相手の話し方、態度、しぐさ等々・・を総合的に考えて私の事をどう思っているのかの「思い込み」を完成させると思います。
 「きっと良く思ってくれているよな。」と思えれば悩みなど生まれないのですが、そう簡単にご陽気に思えないから私も大いに人間関係で悩みました。「気にしなければいい・・。」とよく言いますが、気にせずしていられないからい大いに悩むのです。本当によく悩んだものです。答えがでたり、でなかったりです。

 でも、結局単純に考えてみると「あの人はわたしの事をきっとよく思ってくれてないよな。」と思うことも、

                       私の勝手な「思い込みなんだよなぁ・・。」

『その一瞬を一生懸命・精一杯生きてください。』

 昨日教わった言葉です。

あなたは今を生きています。

今、この時を生きています。

過去を生きているのではありません。

未来を生きているのではありません。

悩みのほとんどは、過去に起きたこと事が原因です。

悩みの種は、過去の産物です。

それにしばられて生きていきますか。


『あなたは今、この一瞬のみのだけを生きているのです。』


5分後には、ポックリ死んでいるかもしれません。

先のことはわかりません。

だから


『その一瞬を一生懸命・精一杯生きてください。』

『想定外の出来事・想定するべき出来事』パート2

 これから社会復帰を目指している方へ 

 これから書くこことは、決して不安をあおるものでなく、私の体験を基に考えた事です。世間には、いろんな考え方を持っている方がいます。本当にたくさんいらっしゃいます。想定外に心を乱しにかかる方がいます。

              「あなた、きちが〇だよね・・。」

 社会復帰後に、これ位の事を『言われる。』を想定しておいてください。そうです、これくらい、この程度の言葉くらいです。それに対し、芽生えたその負の感情と戦うのか?受け止めるのか?かわすのか?どう対処するのか?あなたなりに、シュミレーションをしておいてください。カウンセラーに聞いてもいいと思いますし、本から学ぶ事もいいと思います。誰かに相談する事もいいと思います。(ネットの相談コーナー等はだめです。)なぜならそんな事くらいのことで、

「もう一度療養をやり直すことの無いように・・。」

医学的には、この病気は再発した場合、療養期間は前回より長いものになるそうです。そして、再発した場合、次の再発率は、回数を増す事に爆発的に上がります。私のカウンセラーは言います。「もう一回療養するという事は、あなたに期待(社会復帰)してくれた方々を裏切る事になります。また、裏切ってしまうのです。」ただ裏切るだけではなく、

                  『また、裏切る・・。』

 その期待を前回より、それはえぐるように前回より期待(社会復帰)を裏切ってしまう・・。

 人生は何度でもやり直しはきくと思います。昔から言われていることわざみたいな話です。だからといって、「療養を繰り返す。」は、それとは別ものです。確かに私は、病気をした事で多くを体験し学びました。当然、療養期間を含めての話です。療養期間が長ければ・回数が多ければその体験・学びは増えるのか?それは良いことなのか?答えは言うまでもありません。
「NO!」です。

 「私ごとですが体験者は語る。」なのです。

 人生において「勝ち負け。」などないと思います。ただ、もし不幸にも誰かしらの心ない言葉のおかげで再度療養を選んだのならそれはあなたの

                     「負け。」

です。どんなに相手が悪かろうがなんだろうが、もし再度の療養を選ぶのならそれはあなた自身です。誰のせいでもありません、憎んでも憎みきれないその相手の責任ではありません。あなだが決めたことです。

 だから、もしかしたらあなたの心を乱す「想定外」のことをできれば想定しておいてください。

 本当は、こんな悲しいことは書きたくなかった・・。

『想定外の出来事・想定するべき出来事』パート1

 先日の朝のニュースからです。「柔道の試合で噛み付きが!?」と流れてCMになりました。「噛み付き??ってなんだよ。」と、私がテレビにかぶりつきました。女子の国際試合のようです。日本の女子選手が、相手の選手の上にうつぶせで覆いかぶさり(相手もうつぶせ)、押さえ込みにはいりました、次の瞬間、相手選手が彼女の手に「噛み付き。」ました。どう見ても噛み付いていました。その後、何事も無かったかのごとくその手を軽く二、三回振った後、さりげなくその手を審判に見せて「アピール」しました。その後も試合は続行され、彼女は優勝しました。私は、彼女も何がなんだかわからないうちに試合が終わったのだろうな?と思いました。元Jリーガーのコメンテーター(スペルこうだったかな?)が、「普通、こんな想定外な出来事があったら心を乱し、その後のプレーに影響がでるはずです。彼女はたいしたものです。」と言っていました。それを聞いて「そうだよなぁ、こんな想定外はありえない話だよなぁ。」と感心しそして彼女が「男まえだなぁ・・。」とあらためて感心させられました。こんな想定外な出来事があっても

                        『動じない心』

 私もそんな人になりたいです。そして、これが私たちには特に必要になると思います。

 ルール上、噛み付きの行為は「柔道精神に反する行為。」ということで普通なら即反則負けになるそうです。でも今回その行為を審判が「偶然起こったこと」と判断したとのことです。
      「偶然にも相手選手の手が私の口の中に入り、偶然にも私の口が閉じてしまった。」
 そういう事なのかなぁ・・・。

『宝くじに当たったら人は幸せになれるのか?』

 先日、宝くじの話題で盛り上がっていました。当選金額が「10億2円が9口。」だそうです。「2円てなんだ?」と突っ込みを入れた多くの人の中の私もそのひとりです。
 そこでひとつ思い出したことがあります。ある本にこんな事が書いてありました。

「限界効用の逓減の法則。」

 「限界効用」 そのとき、そのときに感じる満足感。
 「逓減」   だんだん減っていく。

 満足感はだんだん減っていく・・。経済学の基礎理論だそうです。

宝くじで突如として巨額の富を手に入れたとします。(いわゆるあぶく銭ですね。)そこで初めに10万のバックを買ったとします。さて次にいくらバックを買いますか?幸か不幸かお金はいくらだってあります。まず10万円より安いバックは買いませんよね。それは、20万円から50万円なりやがて100万円となっていく・・。一度覚えたこの感覚(快感)を得るために金額は天井知らずに上がっていく・・。やがてそんなお金はそこをつき、借金をしてまでそれを追い求めやがて身を滅ぼしていく・・。「宝くじの当選者必ずしも幸せになっているわけではない。」とこの本は結んで(警告)います。当選者のどれだけの方々を追跡調査したかわかりませんし、当然ながらみんながみんなこうなるわけではないでしょう。途中で気づいたら「元の生活に戻せばいいじゃん?」と思う方もいるかと思います。この本では、別にこんな事も記しています。200万円の年収の方が600万円の収入になったとします。「やった・・。」と感じ、しばらくは200万円から600万円になった生活に満足します。時が経つにつれその満足感は「普通」となっていきます。そして、なんらかのために年収が200万円になったとします。現象として元に戻っただけです。ただ、ただ元の生活に戻っただけです。言葉にすれば簡単ですが感情はそうはいきません。「惨めな生活になってしまった。」「悲惨な生活になってしまった。」等々、負の感情がでてくるのでしょうか・・。ただ元の生活に戻っただけなのに人間の感情はそれを良しとしないと書いています。

私は、宝くじは年末に買うくらいです。(ナンバーズは時々買いますが・・。)そしていつも考えます、10枚3000円分を買うのですが「3000円かぁ・・、買わなきゃ当たらないし、買っても当たらないし、3000円あればなんか美味しいもの食べられるしなぁ・・。」と・・。自分はつくづく小市民だなと思います。
今でも忘れない言葉があります。昔、近所の兄貴分的な方と飲んでいた時の話です。「宝くじが当たったらどうするか?」という話題になり彼は「隣町のお姉ちゃんのとこに飲みに行くなぁ」と笑って言いました。彼もとびっきりな小市民だなぁと思い、今でも大好きな方です。
さて、今年の年末ジャンボは7億だそうですね・・。私は買うのか?どうか?まだ思案中です。