もはや社会問題(話題の内容はクリックしてください。)になった感のあるこの話題に触れたいと思います。
日本テレビ系列放送のドラマ「明日、ママがいない」
視聴者?等の批判により、スポンサー企業が全て番組から降りてしまったそうです。当然、企業のCMは放送されず番組中のCMは広告機構のものが流れているそうです。神戸・東北の震災時にTVで流されていたあの道徳感のあるCMです。私が一番感じたことを記したいと思います。
批判を見てみると多くが、
『施設の子供たち=不幸の子供たち』
と決めつけている感じがするのです。
それは、彼らの背負っているものは相当に辛いものがあるでしょう。平々凡々と育った私には、それは測り知れないものです。体験したものでは分からない話であって、それは当たり前のことです。誰しも「同情」的な感情を抱くと思いますし私もそうです。だからと言って、『施設の子供たち=不幸の子供たち』という単純な図式にはならないと思います。私は、このブログで何度も書いてきましたが、
『幸せとは自分で感じるもの』
だと思います。誰が何と言おうと自分が幸せと思えばそれは幸せなのです。他人様が目に見える現象だけみて、御託を並べ「あの方は可哀想ね、不幸でいらっしゃるわね。」と言ったところで、当の本人が「幸せ」と言えばそれは幸せの何物でもありません。
当然、幸せの捉え方・定義みたいのものは人それぞれです。100万円あれば幸せ、いや1億円あればもっと幸せになれるぞ!と思う人もいれば、夜、暖かい布団の中で「今日一日生きる事ができた。あぁ・幸せだな。」と思う人もいると思います。幸せの感じ方は、人それぞれですが、それは他人が決めることでは決してなく、決められるはずもなく、自分で感じるものと私は想うのです。
自分の前に現れた現象に対してそれを自分にとって「良・善・いいこと」と感じればそれは幸せとなり、「否・悪・よくない事」と感じれば「不幸せ」となるのではないのでしょうか・・。
全ては、自分の前に現れた現象をどう捉えるのか(感じるのか)ではないのでしょうか・・。
江頭2:50さんの言葉です。
『幸福は自己満足・不幸は被害妄想』
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今日のNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」を見ていない人にはさっぱりわからないお話になりますのでごめんなさい。
私は困ったことがあるとすぐにすぐにその不安から逃れられたいと思う人間です。逃れられればそれで『良し。』と思う人間です。とにかく日常生活から不安なく暮らせられれば良く、突如現れる不安なんぞから適当にかわせられればそれで良かったで生きてきました。
そんな性格うえに、仕事で将来起こるかどうかはからない自ら勝手に作り上げた『不安・幻・幻想』に自ら勝手に押しつぶされて私は「うつ病」になりました。
今日のごちそうさんを見て物事結果を急いで求めてはいけないと想いました。人への「想い」は、月日が経って通じることもあるのだなとしみじみ感じました。そしてなぜか不思議とこうも想いました。
「みんな急いじゃいけないよ・・。」
って・・。
ぼちぼちいこうよ・・。私たちの合言葉は「ぼちぼち・・。」です。ゆっくり治していこうよ・・って。治す努力は必要だけど「ぼちぼち。」も必要ですよ・・。
今日のお話は泣いてしまいした。それと希子ちゃん、昨日から「ちょっといつも違うよ・・。」と思ってしまいごめんなさい。あなたはやはりとてもいい娘さんでした。
今から25年前くらいの話になります。ある夜のバライティー番組で、ひとつの10分位のコーナーで『笑ゥせぇるすまん』というアニメが放送されていました。作者は、あの「ドラえもん」の藤子不二雄A先生の作品ですから絵柄的にはかわいい絵ではありますが、人間の『欲・欲望』をシュールとブラックにみごとに捉えたある意味本当に怖いアニメでした。主人公・喪黒 福造(もぐろ ふくぞう)が、さえないどこにもいる一般市民のどこにでもあるささえな「欲望」を掘り下げるというお話です。そのアニメの中の特別番だったでしょうか。もう25年も前のお話なので記憶の曖昧さうえに多分に私の着色が加わると思いますが、いわゆる『おち』だけはしっかり覚えています。
話はこうです。
神様が地球上のあらゆる生きとし生きる者にこう告げます。
『世界で一番消えて欲しいものを真剣に皆で願いなさ。さもなければ、○年○月○日○時○分○秒に地球は滅びるでしょう。』
世界のいわゆる『人類』は必死に考えました。世界中をあげ、政治家は国際会議を開き人類でそれは必死に考えました、そして出た答えは、「戦争がなくなりますように・・。」でした。
そして、その『瞬間』を迎えました。その時を人類は迎えました。その時・そこに描かれたものは、ただただ静かな穏やか絵でした。大都会・海・山・自然だったでしょうか・・。ただただ静かな絵でした。そこに描かれていなかったもの・普段の極ありふりた光景の世界の中でただひとつ描かれなかったもの、それは
『人間』
でした。
神様は、『世の中の生きとして生ける者に』にこの問いかけをしました。世の生きとしていけるもの・・。それこそウイルス・バクテリアから世界で一番大きな生物くじらから草木・花まで問いかけたのでしょうか。それらのなかで一番に多かった答えは、
『地球上から人間が消えて欲しい』
という事(おち)でした。この地球に生きているものは人間だけではありません。多くは、人間以外のものたちです。
この地球を汚したいほうだい汚しているものその『人間』は、地球の嫌われ者なのかもしれません。当然私もその一人です。
なぜでしょうか・・、最近何度も何度も思い出してしまうのでここで皆様に伝えたく書いてみました。
NHK朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」のひとコマです。主人公「め似子(杏さん)」の長女「ふ久」は何を食べても何の感情も顔にだしません。美味しいだとか不味いとか・・。料理好きの母・め似子は、娘のためにいろいろな料理を作りためして見ますが一向にらちがあきません。ある日、外でアイスクリームを食べた娘は、それを楽しそうにもくもくと食べ始めます。ショックだっため似子は、家に帰り子供たちアイスクリームを食べさしますが、娘はまた、ただたんたんと感情を表さず食べるだけです。そこで娘・ふ久の兄がこう言います。
兄「ふ久はよその家で何か食べたことないの?」
ふ久「ない。」
兄「お友達からお弁当のおかずもらって食べたことないの?
ふ久「ない。」
おばあちゃんが気がつきました。
「ふ久は、いつもお母さんの美味しい料理しか食べたことがないんや・・。だから美味しいという意味がわからなかったんや・・。」
ふ久「そうか・・。あのアイスクリームの味は違ってた。美味しいってこういうことなんや・・。」
と、母の料理が「美味しい」という感覚・味覚に初めて気づいたのでした。
私は、「そんなことあるのかな・・?」とちょっとツッコミを入れたい気持ちでしたが、これこそが
『真理』
だと思います。
私は、いつもこう教わっています。仲直りとは、けんかがあって初めて仲直りという現象(感覚・気持ち)を体験することができます。朝の挨拶をしてもろくに返事が返ってこなければ悲しい思いをします。だから人にはきちんと挨拶しようと思います。(私の体験より・・。)極端なことを言えば、平和とは戦争がなければ感じ得られないことなのかもしれません。悲しい体験や不幸なできごとがあってこそ初めて「幸せ」を感じられることだってあるのだと思います。世の中全て「幸せ」というものだけしか存在しないのならば「幸せ」という体験はできることはありません。なぜならそこに、
『比較・対象』
というものが存在しないわけだから体験したくてもそれを体験できるわけがありません。
善と悪 幸せと不幸 光と闇 等々・・
どちらが良い・悪いのではなく全てこの世に必要だからこそあるのであって、それは私たちがそれを知りえるために存在しているのだそうです。
1995年・平成7年1月17日午前6時46分52秒それは「起こりました。」私は今でもはっきりと覚えております。その激しい揺れは、部屋のタンスが倒れる覚悟をしました。
「阪神・淡路大震災」
が起こったのです。
悲劇が起こってからの1月末だったでしょうか。職場の組合でボランティアを募り私はそれに手を上げました。手助けをしたいという思いは当然ありましたが、それ以上に「この目であの光景を見てみたい。」という感情がありました。今にして思えばとんだ野次馬根性の大馬鹿野郎です。電車とバスで半日くらいかけて現地に到着しました。3,4泊だったかと思いますが物資を配ったり、調査をしたりと細々といろんなことをさせていただきました。
「現地は本当に悲惨だった。」
なんとなく自分の愚かさに気づいた私は、個人的に3回ほど週末と休暇を使いボランティアで神戸に向かいました。初めての日、なんのつてもなかった私は、野宿を覚悟に寝袋と食料をリックに詰め神戸を目指しました。そして、ある避難所の小学校がボランティアとして私を受け入れてくれました。朝、昼、晩の炊き出しの準備から子供たちとグランドでサッカーもしました。いろんなことをお手伝いしました。移動に神戸の大通りをトラックの荷台に乗って走ったことを今でも思えています。「交通費に何万円もかけてよく何度も来るね」と笑ってくれたボランティア仲間は、偶然にも私の家から1時間ちょっとの所に住んでおり今でも親交があります。
小さな親切心と大きな野次馬根性からの体験でしたが、確実にその体験・被災者の方々と相対してそれは私を「成長」させていただきました。何かが変われました。結局のところ、大いなる自己満足なのですが・・何か変われました。
だけど、被災者の方々の悲しみなど愚かな私なんぞにわかるわけがありません。それは永遠に・・。
初めての組合で行ったボランティアには、旅費・食事の費用等々すべてもってくれました。おまけに日当まででました。「日当?なんか違うよな・・?」と思った私は、その費用を全部「チョコ」に代えてリックに満タンに詰めて神戸で配りました。バレンタインデーが近かったためちょっとでも気分が変わってもらえればと思ったからです。
「あの時、ちょっとは良心があったかな・・。」
と、これも大いなる自己満足です。
たまには本当に、極、個人的な主張をしてもいいかなと思いました。
私は、月に一回位の割合で病院で検診をうけています。そしてその日は、自由勝ってに過ごさせてもらっています。それも一泊二日で・・。それを妻は「良し」としてくれています。普通、そんなことを許してくれる家庭はないみたいですね・・。そこで私はいわゆる「ストレス」」とやらを発散させてもらっています。昼まっから飲んでいる日もあります。そして「一人カラオケ」をする日もあります。そんな日は、必ずこの曲を歌います。私の大好きな一曲です。
『Acid Black Cherry 「イエス」』
BSプレミアムで月~土PM7:00「ちゅらさん」が再放送されています。以前(2001年4月初回放送)NHKの朝の連続テレビ小説で放送されていた番組です。いつも子供と楽しみに見ています。ざっくりお話しますと主人公、沖縄出身の小波蔵恵理(こはぐらえり・天真爛漫な少女兼今で言うところの天然)が上京して看護士をとおし成長していくというお話です。詳しくは「ちゅらさん」←クリックして下さい。そして、脇を演じる役者さんがとてもいい味をだしておりまして、恵理の兄のお笑い芸人・ガレッジセールの「ゴリ」さん。当時は本当に初々しくて、この番組で人気がでてちょっと鼻が高くなっちゃったりした山田孝之さん。いつも意地悪なことを言うのだけど本当は優しい「まりあ」さんこと管野美穂さん。私はこういう人がそばにいると人生楽しいだろうなと思います。そして私が大好きなのが主人公・恵理のおばあさん(通称・おばぁ)役の小波蔵ハナを演じる女優・平とみさんです。ちゃっめっけたっぷりでいてそれはそれは優しいおばあちゃんで、へたに私が解説するより番組を見ていただいたほうが早いですね・・。途中から見ても十分に楽しめる作品かと思います。お勧めです。以前放送していた同じく連続テレビ小説「梅ちゃん先生」が好きだった方にはきっと楽しんでいただけられる作品です。
ある日、そんな主人公・恵理のおばあさんのおばぁは、沖縄から孫を心配して上京し、恵理の住むアパートで少しの間やっかいになります。そこのアパートの主である同じ年頃のおばあさんとの会話です。たちまち主と仲良くなったおばぁが主にこう言います。
おばぁ「今度沖縄に遊びに来てね。」
主 「ありがとう。でもね、沖縄はとても悲しい思いがあるの。戦争でね・・。おいそれと楽しい思いで行ちゃいけないと思うの。ごめんね。」
おばぁ「そうね。みんなそれぞれいろんな想いがあるよね・・。」
そしてこう続けます。
「でもね、沖縄の人はみんなとっても優しいよ・・。とっても悲しいことを知っているからとっても人に優しいよ。」
と満面な笑みで言うのです。
うつ病とか精神疾患とかそれはそれは『余分な、本当に余分な悲しい想い』をした人はその分人に優しくなれると思います。
いや、人に優しくしなければいけないと思います。私たちがこの病気になったことに意味をもたせるとすれば『人に優しくなれる人になること!』だと私は想います。
先日、お笑いコンビ「よゐこ」の無人島でサイバイバル生活を送るという番組を見ていました。基本的に食材は島にあるものを調達し、何日かそこで生活をするというもので、ほとんどの食材を海の魚等から得ています。そこで、ゲスト出演していた女優・モデルの「土屋アンナ」さんが、自ら海に潜って捕った魚を前にして
『その日食べる分だけ捕れると思うんだよね。それ以上捕れると今度は食べる人が増えるんだよね。』
と言っていました。私は「いいこと言うなぁ。」と素直に思いました。
その後、番組のサバイバル生活コメンテーターがこう言っていました。
『私もサバイバル生活をした時、いつも腹八分目の量しか得ることができません。ごく稀にそれ以上に得られることがありますが不思議とお腹一杯になりません。』
『これが自然の摂理だと思います。』
きっと自然は、人間に必要以上に『富』を与えないようになっているのではないのでしょうか。自然との共存共栄のために・・。
余談
コメンテーターがこう続けていました。「そういうめんでは、いつも必要以上に食材を求めるよゐこの浜口さんは、とても『欲張り』です。」と。これには笑いました。(番組を知っていないとわからないネタでごめんなさい。)
なぜだか正月恒例に放送されている「芸能人格付チェック」という番組を子供が楽しみにしていまして私も一緒に見ています。例えばですが、30万円のバイオリンと3億円のバイオリンの演奏を聴かせどちらが3億円?とか3千円のワインと100万円ワインを飲み比べどっちが100万円?と芸能人が当てる番組です。私は常々一般庶民を代表いたしまして、
例え添加物で着色されていて一般大衆の口に合わされた物であっても、たとえそれが『3千円のワイン』であったとしても、100万円のワインより美味しいと思う『3千円のワイン』は、それは私にとって価値ある美味しいのである!とまぁそれはそれは勝手な持論をかざして見てみています。
そして『1億円の盆栽とそうでないもの』という問題が質題されました。必死に見てももそれはもう何がなんだか私にはさっぱりわかりません。(3億円の盆栽は600年の歴史があるそうです。)
「幸せとは?」という話になった時、『人それぞれ価値観が違うからそれは人それぞれ違う』と言われます。しかしなんですがどうしてもこの『人それぞれの価値観が違うから・・うんぬんかんぬん』という言葉が私は好きになれません。
今はきちんと説明できませんが
『幸せの感じ方とは』
それは、もっと簡単でシンプルでみんなが同じ感覚で感じられるものであると想うからです。
幸せとはすごくすごく簡単な毎日のすごくすごく単純なことを『幸せだな』と感じることなのだと想います。
いわゆる私は「紅白歌合戦」の裏番組を子供と一緒に見ていました。PTA的にはとてもお勧めされる番組ではないことはじゅうじゅう承知で笑って見ていました。番組が終わりふとネットを見てみると『紅白で卒業発表。』という言葉が目に留まりました。あのアイドルグループのリーダーがそのグループの卒業を発表したそうなのです。私は、この方にどうのこうおの言うつもりはもうとうもないのですがごめんなさい。一言、言わせてください。いくら人気がなくなった、低視聴率になったといわれるこの番組ですが、あなたが生まれる前から子供からおじいちゃん、おばあちゃんが大晦日に本当に楽しみにしてきた(私もその一人です。)番組、『国民的歌番組』です。そこであなたは、あなた個人の事を発表しました。芸能界で生きていられるのならばそれは理解できるはずです。
本当に、本当に、申し訳ない言い方ですが、その事(発表)について、国民のどれだけの方々が関心を持っていると思われたのでしょうか・?あの発言は、あなたの紛れも無い
『おごり』
なのではないのでしょうか・・?
どうして周りの大人たちは止めなかったのでしょうか・・。(社長もNHKも許可したらしいのですが本当なのでしょうか・?耳を疑います。)
これで今日のスポーツ新聞の一面は決まりです。普通ならば、長年この番組に貢献して今回でくしくも『引退』を発表された北島三郎さんが飾られたはずです。が、間違いなく一面は彼女のものです。
この番組で『引退』をされる方。『卒業』を発表された方。
人の引き際の舞台とは、本当に選ぶべき事だと学びました。