うつ  一歩進んで二歩さがる。それでも進んでる!

『生きがいさがし・・。』

 療養中に幾度となく妻に不安をぶつけていた私に対し、妻が「何か不安を紛らわすことを覚えたら?」とどこで聞いてきたか知らない知識を何百回も言ってきました。「そんな事したってまたあの不安は襲ってくるだろ、意味がないよ」とその提案は考えてみませんでしたし、そんな余裕はさらさらありませんでした。また、主治医・カウンセラー等々からも「何か趣味を持ちなさい。ストレスを発散させる何かをもちなさい。」と何度も言われましたがいまいちピントきませんでした。でも最近になってこの「ストレスを発散させる何か。(不安を紛らわす何か)」の大事さを感じはじめました。
 今となってだから言えるのですが療養中の方はこの「何か」を使ってその時の不安から逃れる「術」を持つ事は大事かと思います。確かにその間だけ不安から逃れられてもまた不安が襲ってくるかもしれません。だけどその間だけは自分を取り戻せます。その時間がちょっとずつでも長くなって習慣づけてしまえば何か違うもの(違う価値観)が見えてくるかもしれません。
話はずれますが、いずれにせよ『価値観』は変えなくてはいけません。そうしないと復帰後社会では生きていけません。

 たまーにですが先輩ずらして「一杯飲みにいこうや」と誘っていた後輩がいました。とうとうその後輩に職場の役職を抜かれました。

 「何か生きがいをみつけましょうね」と常ずねカウセラーに言われてきました。私は、「仕事もいい加減じゃなくて、それでいて何か生きがいをみつけていきたいと思います」と言ってきましたし、真面目に考え始めていました。しかし、後輩の一件が現実に起きました。いずれ起こる事で予想も覚悟もしてきたつもりです。実力は関係ないんです。いつまた爆発すりかわからな者は上からみたらやっぱりそれは「爆弾」なんです。それにつては否定しをしませんし、事業者・経営者側からしてみれば当然の選択だと思います。その事については、受け入れるよう心の準備をしてきました。

 もう腹を決める時期がきたようです。

「仕事もいい加減じゃなくて、それでいて何か生きがいをみつけていきたいと思います」

 そんな甘ちょろい事言っていられません。仕事なんていい加減でも

              「二度と病気にならない生きがいを見つけよう」

 が、先でもいいというか余暇が一番、仕事は二番でいいのかと思います。「甘いのはあなた。雇ってもらっているだけでありがたいのよ」と言われれば返す言葉はありませんけどね・・。

 私は、このブログでうつ病を治すためにはいらないもの・捨てなければならないもの・不必要なのは「プライド(世間体・みえ)」と言ってきました。

 うまく言えませんが捨ててはいけないプライドというものもあると思います。でも、間違っているかもしれません。きっと間違っているんでしょうね・・。仕事は二の次でなんて考え方・・。でも、今思っているこの私の感情は、 


 うつ病患者が生きていくための

                      「術(必要なもの)」

だと思います。

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『なんくるないさ・・。』のその後について

 この章の2つ下、『なんくるないさ・・。』のその後についてです。その内容とは、職場の人事異動についてで「自分も異動があるのでは?予想の先の上司は怖い人だ、上手くやっていけるのか?また病気になったらどうしよう?」で一か月以上悩み続けていました。
結果がでました。何てことはない「異動なし」でした。「良かった・・」と想いはしましたがはるかそれ以上に

 「結局なんのために悩んでいたのだろう?今まで何を学んできたのだろう(認知行動療法みたいなもの)、何も生かされていなかったじゃないか・・」

 ただ気が抜けて脱力感だけが一日残りました。つまんない一日だった・・。

結局のところ自分の状態が調子のいい時の学びは、自分が分かったような気がしているだけなのかもしれません。理解した・もう自分は大丈夫だぞと自分に都合のいい解釈をしているだけかもしれません。

私たちが学ぶべき考え方とは、

 『いかに自分が弱った状態になった時に、いかに学んだ事(幅広いいろん考え方みたいなもの)でその難局を乗り超えていくのか、ピンチの時にいかにその学びが実践できるのか、やり過ごす事ができるのか』

だと思います。

 私は、改めて「学び」を生かすための実践の大切さと難しさを体験しました。


              全ては、『体験』から学ぶのみです。

『浅草キッド』

 タケちゃんの至極の一曲です。たけしさんがツービート時代の売れる前の出来事を歌にしたそうです。今時の流行り曲も否定しませんがこんな曲もいいもんです。

           昔から理屈なく好きな一曲です。




『なんくるないさ・・』

 沖縄の方言で「なんとかなるさ 大丈夫さ」みたいな意味だそうです。本当の由来・意味は「人事を尽くして天命を待つ」みたいなのだそうですが私は、「大丈夫さ」で時々思い出します。この言葉を知ったのは、NHKのドラマ「ちゅらさん」からです。今、BSプレミアムで月~土PM7:00から再放送されています。

 療養中、もし許されるなら沖縄で過ごして(療養)みたかったです。できるなら本当にしたかった・・。この「ちゅらさん」に憧れ、病気になる前に沖縄に一回だけですが行ってみました。そこは、穏やかに時が流れていていました。沖縄時間ってのがあるみたいで、暑さがおさまってから皆が飲み出かけるそうなのです。一度お風呂に入ってから外出するみたいな・・。この時間の感覚が私にはピッタリで大好きです。(まぁ、私はいつも行きつけの居酒屋にはお風呂に入ってから行くのですが・・。)


                           『なんくるないさ』


 この時期、人事異動の季節ですよね・・。私も該当するかもしれないと戦々恐々なのです。だいた行先が読めてきます。今の上司は病気のことを120%理解してくれています。何せ終業時間になると「早く帰りなさい。」という人なのですから・・。それが私の推測する移動先になれば180度環境は変わります。人間関係が180度違ってきます。

 怖い上司・・。もしあの人が上司になったら仕事のできない私をどう「怒る」のだろうなって・・。恐い・・・。恐怖です。そんな生活になってまた病気になったらどうしようって・・。

                          『なんくるないさ』

 少しでも、ほんの少しでもこう思えたのなら病気になんかならなかった・・。

そしてこの先どれだけ
                          『なんくるないさ』

と想えるのか、これから起こるかもしれない嫌な現象に

                          『なんくるないさ』

立ち向かえるのか?それとも

                          『なんくるないさ』

と流せるのか・・。その現象を気にせず生きていけるのか?

 この先私はどう生きていけるのだろうか・・。

『だめだこりゃ』

 本題に入る前「だめだこりゃ」について説明します。以前もここに書いた気はしますが・・。 
今から30年以上前になるお話になりますが、「ドリフ大爆笑」とういうお笑い番組がありました。ザ・ドリフターズが毎回コント等をする番組で、幼心に楽しみにしていたものです。5~10分位のコントの中でいつも志村けんさんや加藤茶さんは、リーダーのいかりや長介に対して、理不尽・滑稽・不条理な事をします。いかりやさんは困り果てた後、最後のいわゆる「おち」として決まってこう言います。
                         「だめだこりゃ」

 本題に移りたいと思います。今日こんな記事がありました。

「 職場うつ対策のストレス検査 義務から希望者のみに修正」

 働き手がうつ病などになるのを未然に防ごうと、すべての企業と労働者にストレス検査を義務づける労働安全衛生法の改正案が修正されることになった。自民党内から「検査結果が悪用されるおそれがある」という反対意見が出たため、産業医がいる従業員50人以上の事業場だけに義務づけ、希望者が検査を受けるように改める。

 検査は職場のメンタルヘルス対策の一環で、働き手に自分のストレスの強さを気づかせるねらい。うつ病など「心の病」の労災認定が2012年度まで3年続けて過去最多を更新しているため、厚生労働省は検査をすべての企業と働き手に義務づける改正案を今国会に提出する方針だった。

 厚労省の改正案では、検査結果は本人だけに知らされ、産業医の指導も受けられる。本人が希望しなければ、企業には結果は伝わらない仕組みだった。だが、2月19日の自民党の部会では「結果がきちんと管理される保証がない。企業に知られると労働者の不利益が大きい」などという意見が相次いだ。

 このため、厚労省は5日の自民党の部会で、すべての労働者に検査を義務づける規定を削除し、産業医がいない50人未満の事業場は「努力義務」にとどめる修正案を示した。厚労省は「働き手の多くは検査を希望するはず」(安全衛生部)として、メンタルヘルス対策としての実効性は保たれるとしている。

私の主張

『だいたい心が病み始めている人や今現在病んでいる人がご陽気に「私は検査を受けます!」と手を挙げられると思いますか?そんな事を上の者に言える人なら、そもそもうつ病や精神疾患等の病気になんてなりません!』

 毎年、3万人近くの人がうつ病で自殺をしている世の中なのです。もしこの検査が義務化されれば、確実に救われる命があるはずです。断言できます。
「検査をしたいと言ったら職場の人はどう思うのか?」等々・・。考えれば考えるほど手を挙げられない理由はご満とあり、そしてその結果手を挙げられなくなるなんて容易に想像できます。

 この記事を見て私は大きなため息をつきました。理不尽・滑稽・不条理で・・。

そして
                             『だめだこりゃ』

 とつぶやくのが精一杯でした。

『体は正直』という恐怖・・・。

 このブログを立ち上げるにあたって一つだけ決め事をしました。それは「私を知っている人がこのブログの存在を知ったら閉鎖しよう。」です。だから自身の私的な情報は極力ぼかしてきました。私だと分からない様に・・。以下のことも少し考えてみましたが書いてみる事にしました。
 半年前頃から歯の治療を続けています。虫歯ではないのですが歯が痛みます。あっちを治せばこっちがという具合にまるでそれは「のらりくらり。」と治療しているみたいなのです。先生は、「あなたは100人いればダントツの歯ぎしりです。」と・・。「ストレスだと思います。」とも言いました。私は、(あぁ、そうなんだぁ・・。)と心でつぶやきました。歯ぎしりと言われても自覚などありませんし、ましてや寝ている間の出来事ですから認識などあるはずもありません。そしてまた歯が痛み治療に出かけると先生に鏡を持たされ「見てください。歯が動いていますね。歯が割れています。」それは、乳歯の様に半分がグラグラと動いています。その割れた半分を取り治療後に先生に相談しました。今後について・・。それとなく病気のことも話しました。「あんまり考えない様にしましょう。今度割れたらその上から何かかぶせるようにしましょうね。あんまり気にしないようにしましょう。」と優しく言ってくれました。おっとりとした方で「この先生ならカウンセラーになれるんじゃないのかな。」と感じました。
 不安になった私は、矯正歯科で診察してもらいました。はっきりした先生で、「歯ぎしりの原因は、ストレスなのか歯並びの悪いせいかはわかりません。」私は歯並びが良くありません。そして先生は「これは憶測です。あなたの歯は、80歳まで奥歯が持たないとおもいます。手術をするか(骨を削る)、矯正をするか?です。抜本的な解決は手術です。いずれにせよ年齢的な問題あり、治すなら今です。」とのことでした。先日ここの歯科医院で検査をしました。結果はまだなのですがそれを聞いてから、別の手術をする総合病院で検査をしてOKなら手術に踏み切れるとのことです。びびりの私にとって手術は正直怖いです。

 冷静に考えて「歯が割れるほどの歯ぎしりなど尋常な話ではありません。」矯正の先生はさらりと流しましたが・・。

 歯並びが悪いからなのか?ストレスからなのか?二人の先生の見解は別れましたがおそらくストレスからなのでしょうね・・。自分では、今はそんなにストレスを感じていないのに体はどこかでそれを感じているのでしょうか?「歯ぎしり」という行為で、私の体はストレスを浄化作用の様に発散していてくれているのか?それとも私にSOSを発信しているのか?どちらなのでしょうか・・。

 いずれにせよ
                              『体は正直』

とうい事かも知れないと思いました。皆様も体の正直な「表現」にはお気を付けください。何かのSOSかも知れませんから・・。