うつ  一歩進んで二歩さがる。それでも進んでる!

『非の打ちどころがない名曲』



余談
 話はずれますが、私はほんの少しでも電車の中が混みだし女性が近づいたのなら両手で釣り革を持つなどして「私は両手を上に挙げているんだぞ!」アピールを必ずします。

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『違和感を感じなくなった事の恐怖・・・』

 先日の日曜日、NHKの夜7時のニュースでAKBの事件を扱っていました。犯人の母親の謝罪の映像が首から下でしたが流されました。私は、

                          「NHKもこんな放送をするのか」

と、テレビに突っ込みをいれました。

 こんな事は、民法の朝のワイドショーでやることだろうにと・・。でも放送を見終わってからあらためこう思いました。
                   『いつからこんな映像を放送するようになったのだろう』
かと・・。

 犯人は、20歳を超えただいの大人です。そんな大人に対してわざわざ親が代わりに謝る必要などないと言います。私も納得です。でも、いつまでたっても何歳になっても子は子なのです。子の過ちは、親として「謝りたい」という気持ちは親として当然かと思います。私もそう思います。母親が自らの意思でマスコミを使って謝りたいというのなら話は別ですが多分、犯人の母親はマスコミから催促され必要に迫まれやらなければいけない状況に追い込まれ謝罪の放送にといったのではないでしょうか?(自分の意思なら顔は隠さないでしょう・・)


              需要があって供給がある。視聴者が欲するからメディアは答える。


 こんな映像必要なのでしょうか?私たち視聴者は、何を感じればいいのいでしょうか?言い過ぎなのでしょうが、仮に母親が涙ながら頭を地べたに擦り付けて謝る映像を見れば視聴者(私たち)は満足するのでしょうか?

 私は、謝る必要がないと言いたいのではないのです。謝る映像を流す必要がどこにあるのでしょうか?と言いたいのです。

                   『いつからこんな事をするようになったのでしょうか・・。』


『私の大好きな俳優さん?芸人さん?の大泉洋さん』

 たまたまネットを見ていてこれを見つけました。私この方が大好きで映画『探偵はBARにいる』のシリーズ2作品を映画館で観ました。共演していたガレッジセールのゴリさんのおかまの演技が天下一品でした。
 大泉洋さん、俳優なのか?芸人なのか?実に楽しい方です。結構笑えますよ・・。(BoAさんに関してはほぼ知識がありません。)

 

『一緒の感性・・・』

  私の一番好きなギターリストの紹介になります。「X・JAPAN / hide」です。このビュジュアルですから受け入れられない人も多いかと思います。とにかく演奏している彼が「格好」いいですね・・。X・JAPANのギターとして、バラードを弾いている時の遠くを見つめる彼の姿は今でも忘れられません。そうです、彼はもうこの世にいません・・。
 ポップな曲も好きでしたが人間の『闇』をみごとに表す「Dark」な曲も引かれた想いがあります。

 そして何より彼が大好きになった理由は、前回の投稿で紹介したドラマ「未成年」と石田壱成さんの演技を大絶賛していたことです。

                        『彼と同じ感性なのだ・・』

というところがとても嬉しかったことを今も覚えています・・。
 

                       ポップな時の「hide」





                        Darkな時の「hide」






『それぞれの青年の主張』

 「あなたの心に残るドラマは何ですか?」と聞かれたら迷わずこの作品と答えます。20年位前に放送された


                TBS系列『未成年』です。(←詳しくはクリックを)


・厳格な父親からいつも出来の良い兄と比較され続けて生きる劣等生の主人公・ヒロ(いしだ壱成さん)

・病気のため手術の痕が胸にあり、それがもとで愛する人と結ばれず心にも傷を負ってしまうモカ(桜井幸子さん)

・優等生ながら母からの溺愛のため自由に生きられずもがき続ける・優等生(河相我聞さん)

・ヒロのことが好きな自由と性に奔放なカー子(遠野凪子さん。今と変わってないような・・)

・ちょっと怖い職業で義理と人情にはあついゴロ(反町隆史さん)

  そして知的障害を患うデク(香取慎吾さん)を中心に物語は展開していきます。ひょんな事からデクは、ゴロのけん銃を銀行の中で発砲してしまいます。警察から追われる身になったヒロ達は、デクを守るため逃亡し廃校になった学校で集団生活を送ります。やがて皆、警察に囚われますが、その様子をマスコミは「報道の自由」をたてに未成年でありながらテレビ中継をします。そして護送の途中、そこから逃げ出したヒロは母校の屋上で心の内を叫びます。





  ドラマは、若者それぞれのどうにもならない葛藤(人間関係)を描いています。若者達は世の中の自分の居場所を探します。そして、損得勘定など考えない友情を知的障害のデクを中心に築き上げようとします。 当時の私は、主人公ヒロが『カッコいいな』と想いました。今なぜこの作品が好きなのかあらためて考えてみました。ただなんとなく若い頃を漠然として生きてきた私にとって、自分の生き方を模索して、省みて、自分の考えを堂々と主張できる(考えを持つ)主人公に憧れたのだと思います。今にして思えばそんな事一度もしなかったな・・。

  良かったら一度見てみてください。

『伝わりますか・・・・』

 好きな一曲です。べたな投稿になりますがファンは皆こう想っていますよ。

   私たちの気持ちがあなたに

                              『伝わりますか・・』




 女心を歌った本当にいい曲なんですが・・

 曲には「罪」はありません・・と思うことにしました。

『お父さんの青春の思い出・・』

 中・高生の頃、彼女のレコードは全て持っていましたし映画も全て見ました。彼女が私の青春の頃、今でいうなら私のAKBがでした。(自分で言っていてなんだか恥ずかし気がします・・。)





若かりし頃、スキーシーズンが始まる前にこの映画を観て気分を高めていたものでした。





 最近拍手の数が気になっていました。大原則としてうつ病の方の何かの役に立てればと書いておりまして、前回、自分なりの真髄となるの薬のことについを書きました。余り賛同は得られませんでした。悲しい思いがありました。が、それは私の思い上がりのなにものでもない事に気が付きました。

 私の発言のもし、いいと思うことがあればチョイスしていただいて実行していただく・・・。良くなかったら申し分けなったですけど別の方法を考えてください。

             私は「こんな事もありますよ」と今後も伝えたいきたいです。

 私は今一度「原点」に戻りたいと想います。

 今後も今回の様に好き勝手な事を書きますが良かったらまた見に来てください。

                             感謝

 もうひとつというかご紹介したい曲があります。

 先日あるテレビ番組のバックミュージックでこの曲が流れていて思い出しました。20年前位の「聖者の行進」というドラマの主題歌でした。あの「野島伸司さん」の作品ですから当時衝撃的な想い出があった記憶がありま。


                    心に響き渡る曲です。

縦の糸はあなた横の糸は私

織り成す布はいつか誰かを

暖めうるかもしれない


縦の糸はあなた横の糸は私

織り成す布はいつか誰かの

傷をかばうかもしれない


縦の糸はあなた横の糸は私

逢うべき糸に出逢えることを

人は仕合わせ(幸せ)と呼びます





『薬とのお付き合い・・』

 いつだったかカウンセラーにこんな事を打ち明けました。

「早く献血のできる体になりたいです」

と・・。

 献血をされた経験がある方はご存じでしょうが、献血をする前に自己による問診票の記入があります。そこに現在、服用している薬は?とうい項目があります。正直に書けば「申し訳ございません」となってジュースをもらって帰ることになります。そうなのです、「うつ」の薬は輸血の血には適さないという事らしいです。もちろんうつ等の精神疾患の薬だけではないです。私も知ってはいましたがなにか自分が「特別な体」という気がして寂しい思いをした事がありました・・。

 先日主治医との診察で

 「いつも朝○○を飲んでいましたね」
 私
 「はい・・(ムニャムニャ)」
 主治医
 「○○を何錠でしたっけね?」
  私
 「はい・・(ムニャムニャ)」
 主治医
 「○○を何錠・・。そうですね。減らしましょう」

 「はい・・(ムニャムニャ)」

 なぜ返事が(ムニャムニャ)なのか?私は、自分が飲んでいる薬がわかりません。というか処方されている薬がわかりませ。というかそれをその薬を飲んでいません。そうです、処方だけしてもらって飲んでいません。先生に言い出せずーーーといます。
 決して職場には言えない事です。重々承知しております。「薬を飲まずまたなったら(再発)どうするのか!」と言われる以前の問題として、社会人として迷惑をかけた人間として薬を飲む事など当然の責務でしょう。私はこの言い回しが嫌いですが今時の表現で、

「自己責任で飲んでいません」

 私は、療養を数回繰り返しました。最後の療養中に主治医にこう言いました。

「また薬を変えてください」

と・・。
主治医は「薬を変えてもね・・。」と語りだまりました。私も薄々気がつき始めていましたし、それを認めるのが怖かったし、認めたくなかった。認めれば心のよりどころみたいなのが無くなるしこの先希望が持てなくなるのが怖かった・・。そう、

『薬だけではこの病気は治らないという事』

後から分かった事は(体験をとおして知った事)、

『薬では治らないとうい事』

 誤解のないよう薬が悪いと言っているわけではありません。私も薬に助けられたのでしょう。治療の取り掛かりとして薬の服用は絶対です。そこで、薬の力をかりて「ドーパミン?」でしたっけ・・、それを増やして元の状態に近づけて治療していくのですよね。だから薬は必要かと思います。私は、初めこの薬を拒否して失敗した過去があります・・。だから
「治療の取り掛かりとして薬の服用は絶対です」

ここからは私の持論で医学的根拠は全くありません。
一般的にうつ病の治療期間は3~6カ月といわれています。当然ながら切った・腫れたの病気とは訳が違いますから、教科書とおりにいくわけがありません。ただ、多くの臨床結果から3~6カ月とう値があるのでしょう。という事はこの3~6カ月を過ぎたならある程度は「特別な期間に入った」という自覚が少しはあっても良いのでは?と感じます。重ねがさね言いますが治療期間は人それぞれです。

私もその期間を過ぎ「薬で治るのだろうか・」という不安を覚えるようになりました。そして「薬だけでは治らないのでは?」という想いを感じ始め、今までこのブログに書いてきた事を、薬以外で治すために、自分なりにいいと思う事を少しずつコツコツと毎日始めました。

うつ病って「記憶の病気」だと思います。そして治ったとうのは記憶が思い出になった時にいうのではないかなと私は想っていいます。そこに明確な線引きなどないと思います。一生付き合っていくものなのでしょうから・・。

 主治医は言います。「薬は予防のためもあります」
カウンセラーは言います。「お守りがわりに飲み続けている人もいるよ」私は、この気持が本当によくわかります。

お二方のお話はなんら否定しません。

たた、私は私の考え方の中で薬に依存はしたくなかったから、今薬を飲んでいません。私はできれば薬を飲まずに健康を保ちたいと思っているからで、薬を飲み続ける方を否定するわけではありませんので申し添えしておきます。



『On Your Mark』

 若い頃、彼らのツアーがあればいつもコンサートに足を運んでいました。いろいろ噂がありましたが、真実がどうであれ彼らの「楽曲」に対しての私の好き嫌いはかわりありません。

 この曲(PV)の映像は、あの「ジブリ」の作品となっております。


       『On Your Mark / CHAGE&ASKA』