NHK連続テレビ小説「花子とアン」からのお話になります。物語は、大正時代のお話なのですが、主人公「安東はな(吉高由里子さん)」は、幼少の頃、極貧の生活の中、悲しい事や辛い事があると『想像の翼を広げて』と言っていろんな夢を抱いていました・・。「空を飛べたらなら・・」「あの雲をおなか一杯たべられたら・・」とか・。大人になっても行っています。全く下衆の大人になり下がった私は「それってただの現実逃避」じゃんって思いました・・。
中学の保健の授業で習いましたでしょうか。自分の精神を保つために、その今起きている「現実」から逃れるがために自分を違った状況(仮想の現実)に追いやる・。こんな意味合いだったと思うのですが・・。
最近になってこの主人公の
「 想像の翼を広げて」
は、ただの現実逃避とは違うぞと感じはじめました。
この年になると「夢や希望」などという言葉はあまり口にしなくなります。恥ずかしいというのもありますが、いい加減世の中の現実を嫌というほど見せられ、知って、学んだりしていますから・・。
でも、やっぱり希望っていうか夢というか何かしら持ち続けるっていいことだと思います。何か前向きな自分の生きる「力」になるもの・・。そんなたいそうなものでなくたっていいと思います。「痩せた自分を想像してみる」とか・・。今の私なら「定年まで健康で勤め上げる」になるでしょうかね・・。
療養中の時は何も想像できなかったけど、今思えばこの「想像の翼を広げて」の前向きな「夢や希望」を持つことは、たとえバカバカしい現実離れのお話だって少しでもあなたを前に向かせるものならばOKかと想うのです。「元気になって宝くじ当てて一戸建てを買って世界旅行に出かけよう」とか・・。「現実逃避」じゃありません。
『現実とも向き合ってそれでも少しでも前を向こうじゃないか!』
っていうお話です。どんな事だっていいじゃないですか、前を向きましょう。ちょっとでも少しでも・・。病気中はなかなかそんな気持ちになれないかと思います。私だって今だからそう想えるだけかもしれません。でも「治ったらあれをまたやるんだ!」「元気になったらまた好きな事をもう一度元気にやるんだ!」とか・。
「夢や希望」は、病気の人を元気(治癒)にさせるために大きな力になるみたいです。
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病後、社会復帰しようとした時に全く新しい土地で再出発したいなと思ったことがありました。現実的には家族がありましたし、それ以上にそんな新しいことに踏み出す勇気とパワーはありませんでしたから簡単に夢は捨てました。そうです、捨てました。年も年でしたから・。
もし、新しい土地で再出発したとしたならばと考えてみました。当然ながらその新天地には、自分を知る者がいないというのが必須条件です。というかそうでなければ意味がありません。
「誰も私の過去を知らないところで生きてみたい」
そうすれば「精神疾患を患った者」として誰も自分を見ない。病気になる前のごく平凡な社会人に戻れる・・。普通の人になれる・・。そこでは新しい人間関係を築き上げることがでる・・。尊い出会いがあるかもしれません。しかし、良いにしろ悪いにしろ
『自分が病気だったことを誰も知りません』
メリット
・そこで出会う人々はあなたに対して「うつ」という先入観が全くありません。
デメリット
・新しい土地ですごーーく親密な人間関係(親友とか)を築き上げ人に「あのさぁ・・うつ病って単なる怠け者のでしょ?」って言われるかもしれません。あなたをうつ病経験者と知らないわけですから容易に言われるかもしれませんね・・。ごく自然に悪気がなく、当の本人も悪いことを言ったとこれっぽっちも思わずに・・。だって相手が「うつ」だと知らないわけですから。これは、単なるたとえ話ですがこのような事は言われるかもしれませんね・・。
もしかしたら、新たに信頼を築き上げた人々に言われるかもしれない・・。言われるか?言われないか?どこまでいっても「たられば?」のお話です。ただ、もし新天地で再出発するのであればこう言われた時、
『その瞬間からその方々と、どうかかあっていくのか?その先どうその地で生きていくのか?』
を明確に考えておく必要は絶対にあるかと思います。
「うつ病ってどんな病気」と聞かれたらどう答えようか時々考えたりします。私が入院したいた時に同室の方々が口をそろえてこう言っていました。
「この病気はなった人しかわからない」
と・・。
当然と言えば当然で当たり前の話かもしれません。その病気を体験した人しかその病気の事はわかりません。何もこの病気の事だけではなく、物事なんだって体験した事のない出来事は、どこまでいってもその人の想像の世界から抜け出すことはないでしょう。同じ「うつ」という名の病気を体験した人だって、病状は本当に人様々です。それうえにこの「うつ病」は、治し方が本当に人それぞれになりだから治すのが厄介となるのです。
でもやっぱりこのうつ病って
「なった人しかわからない」
と思います。
どんな感じかというと・・
まずあなたの今まで一番怖かった事、恐ろしかった事、恐怖を感じた事を思い出してください。そうです、一生忘れる事はないであろう『恐怖』です。本当の『恐怖』です。
私の体験した「うつ」は、その恐怖が大きくなったり小さくなったりしてずーーと続く事もあります。そして時に自分の感情を支配します。時には、突如襲ってくる事もあります。「今日は、調子がいいぞ!ひょっとしたら治ったのかな?」と穏やかに過ごし思っていてもあの恐怖はまるで蛇が口を大きく開けるがごとく自分を襲ってきます。楽しくテレビを見ていたって、楽しく家族と過ごしていったって、楽しく散歩していたって、それは襲い掛かってきます。催眠術をかける時よくこう言いますよね、「1、2、3」「ハイ、あなたは鳥になりました」とか・・。あの「1、2、3ハイ」のごとく一瞬にして今まで穏やかだった感情が、一瞬にして「恐怖」に化けるのです。なんの前触れもなくです・・。本当になんの前触れもなくですよ・・。だって1秒前まで心から笑っていても襲い掛かってくるんですよ!恐怖という感情の化け物が・・。表現しようがない化け物・恐怖が!
『あの恐怖が本当に怖かったし辛かった・・・』
だからその「恐怖」にいつしか耐えられなくなった時、そして何者かに背中を押されてしまった時・・、人は自ら未来を閉ざしてしまうのではないでしょうか・・。私が今こうしてこのブログを書いていることは、本当にただの偶然だったのでしょう。
これは、私の体験した「うつ病」のほんの一部分です。当然症状は人それぞれです。本当にこの病気は人それぞれなのです。
「うつ病ってこんな病気」となんとなくわかっていただければ幸いです。そして、もし身近にいれば私のような「そんな思いをしている人かもしれない」と思っていただければこのブログを立ち上げた意味があったというものです。
降り出した雨はまだ泣き止まないまま
僕には傘がなくて 冷たさが痛すぎたけど
温めてくれた・・・それが君なんだよ
声を失くした僕はただ 死んだ様に眠り
目覚めない夢の中で 迷子になり泣いてたけど
見つけてくれた・・・それが君なんだよ
悲しくて苦しくて 振り返れば 儚すぎる夢の跡
今ここでもう一度 ありがとうと君に伝えたい
君が笑うなら・・・僕は唄うよ
君が望むなら・・・僕はそばにいよう
君が疑うなら・・・何度でも言うよ
声が枯れるまで・・・
聞こえる?届いてる?
君がいるから 僕がいるんだよ
(抜粋)
「Acid Black Cherr/君がいるから」
先日発生した台風での土石流の災害の中、奇跡的に助かったご夫婦のお話です。その時、家の中に土石流が入ってきて必死に家の柱にしがみついたそうです。腰まで土砂に埋まった中で「人生幸せだった」とお互いを励まし合ったそうです。そして正直に「生きた心地はしなかった」とも言っていました。でもそんな状況下の中で、
『人生幸せだった』
と、果たして自分なら言えるのだろうか?と感がえさせられました。言えるのだろうか?例えそうでなかったとしても最後くらいは自分にそう言い聞かせてみたい。それより自信をもって「幸せな人生だった・・」と言える自分でありたいし、そんな人生になれるよう歩んでいきたい・・今はそう想っています。
『Acid Black Cherry / 眠り姫』
いつも君がくれた笑顔で少し強くなれた
今度は君の笑顔を咲かせてあげたい
もう一度笑って見せて
ちょと聞けば何だそりゃって感じの曲ですよね・・。でも、悲しみ・憎しみ・不安・辛さ・恐怖・・・なんどろう、いろんな日々の悩みってありますよね。それをこの歌のように本当に単純に本当に簡単に本当にちょとした何か考え方の
『変換』
でそれを少しでも小さな心の動揺(ストレスかな)に変える事ができたのならと感じます。
忘れるまでもいかなくても何か穏やかにすごせるようにその嫌なものの形を変えれたらいいですよね。
ちょっとした何かで考え方を変えられればいいと思うのです・・。難しいですしそれを得とくするまでは日々の努力が必要になると思いますが、少しずつ少しずつ身につけていけばいいと思います。でも簡単にはいかいようです、考え方を変えるには・・。
ですがそれは、全ての負の出来事(ストレス)を容認して
『許す』
ではなく愛をもって
『恕す』
となるそうです。
うつ病でも精神疾患と呼ばれる病気でも本当にごく平凡の生活だって嫌な出来事や嫌な思いとどう付き合っていくかで人生って大きく違ってくると思います。