『なんとなく・・』
ただなんとなくアップしてみました。
「X JAPAN / FOREVER LOVE 」
ただなんとなくアップしてみました。
「X JAPAN / FOREVER LOVE 」
40も半ばを過ぎれば容易に「酒を飲もう」と言っても付き合ってくれる人はいなくなりました。みんなそれぞれ家庭があって当たり前といえば当たり前なのでしょうか・・。
だから今ではすっかりカウンターで一人飲みが当たり前です。すっかり慣れてしまいました。寂しいと言えば寂しいですが・・まぁ気楽でいいです。居酒屋は、二カ月に一回行くか行かないかの店が3件位あって何年も同じ店に通っています。常連といえば常連で顔は覚えてもらっています。カウンター越しに会話したりしてそれが酒のつまみの一つになっています。時には、ビールを運ぶのを手伝わされたりして「俺は客だよ」とぼやいたりしますが、おかみはどこ吹く顔でまぁそんな扱いが心地よかったりもしています。
つまみが美味しいにこしたことはないのでしょうが、それ以上に店の人とどんな会話ができるかでどのお店で飲むかが決まります。新しい店を開拓する事もありますが、好みの店に出会えなかった時のショック(それにともなう出費)が大きいのでどうしても年取ると同じ店になってしまいますね・・。
「酒場放浪記」って番組ご存じでしょうか?一人のおじさんが居酒屋を紹介するだけの番組なのですが、あの番組は、私にとってグルメ番組の最高傑作です。
「河島英五 / 時代おくれ 」
みなさま、渡瀬マキという方ご存じでしょうか?その昔「LINDBERG」というバンドのボーカルで活躍していました。今は、時々バラエティーに「天然な主婦」としてテレビに出演しています。デビューはアイドルだったそうなのですが、元々バンド志向でフリフリのスカートが嫌でバンドに転身したそうです。(確かそうだったような記憶かと・・)
そんな彼女がバライティーショーでこう言っていました。小学校と中学校のお子さんがいるそうなのですが朝起きるといつもこう考えるそうです。
「今日はどうやって子供たちを笑かしてやろうかと・・」
時には小学校のお子さんに、朝一番にパジャマのズボンを下げお尻に向かって「おはよう」と話しかけるというのです。この行為がいいか悪いかは別にして、このお母さんとっても面白い方です。中学生のお子さんはつれないとぼやいていましたが・・・
とにかく家族を笑わすことで私も一日笑っていられる・・・。と、お母さんは考えるそうです。
私は、とっても素敵な子育てだと思いました・・。
やっぱり一日笑って過ごせることは素敵なことです・・。
時には無理やりでも笑顔作っても過ごしてみる(生きてみる)・・。
しかめっ面には、いいことは起きないのです。
笑顔が一番!
そんな今ではお母さんの当時のヒット曲です。
「LINDBERG / 今すぐKiss Me」
きっと25年位前の方々になるかと思います。何枚かCDをレンタルした気がします。よくデーモン閣下がへたくそと笑っていたことを覚えています。昔ってただ楽器を弾いている真似していて許されていた頃があったんですよ。今でいう「口パク」っていうやつですかね・・・。
そんな彼らの中でこの曲が一番好きでした・・。
今日何気なく見ていたテレビの番組のお話になります。あるタレントの兄弟二人は、おばあちゃん一人に育てられました。それは極貧の生活でランドセルはもらい物のお古、授業で使う習字道具もお古で兄弟は周りから笑われる事が恥ずかしかったと語りました。当時、学校での支払も遅れがちになり、それでもおばあちゃんはバイト代が入るとそのお金を担任にすぐに渡したそうです。当時の担任の先生が振り返りそんなおばあちゃんの姿を見て「本当に申し訳なかった」と言っていました。その時点で私は目が潤んでいしまた。昔の人ってそうでした。そういうお金を払えないのは「恥」としていました。
食事の時間、孫たちがおばあちゃんにおかずが無いのに気づくと「私は言いの」と孫たちに笑いかけます。
おばあちゃんはこう孫たちに伝えます。
「人に笑われる前に笑いなさい」
と・・。
おばあちゃんが孫たちに何を伝えたかったのか真意は私にはわかりません。ここからは私の勝手の解釈です。きっとおばあちゃんは、
「人を恨んではいけないよ。それじゃ心が貧乏になってしまう。笑顔で返そうね。恨むのだったらその人の幸せを祈ろうね」
って・・・。
この飽食の時代、どうやってこの豊かさの「幸せ」をうちの子供に伝えればいいか考えされました。
『X Japan / Tears 』
自分を見失わず新たな気持ちでぼちぼちで続けていきたいと想っています・・。
このブログを立ち上げたのは少しでもうつ病の人に何か役に立てたとらと立ち上げました。何も知らなかった私は、このブログを見に来てくれる方が初めから沢山いると思っていました・・。そしたら何が何、初めは一人・・0人・・。テンション下がりぱなし・・。そんな日々が長く続きました。でも、今では沢山の方の訪問をいただいています。ただただ感謝です。ありがたい事です。ありがとうございます。
そしてこの下の私のブログ『強くなれ僕の同士よ』で私自身の想いをこめてこんしんの一発を放ちました・・。そのつもりです・・。
でも・・・・・。余り受け入れられなかったようです・・・。
ちょっとこのブログ休むことにします。明日また気が変わって始めるかもしれません・・。基本的にうつ病の人に役立ってくれたならと立ち上げたブログですから・・。
今うつ病で苦しんでるみんな・・・。気休めだけど、何の役位に立てないけど、何の力になれないけど、でも私はうつを経験したんだ、だからあなたの気持ちは少しはわかるんだ、一流大学を出たカウンセラーより自身をもって言える。みんなの気持ちはわかるよ・・。わかるんだ・・。
『大丈夫。大丈夫だからね』
ありがとうございました。
明日に住みついてる幻覚の名前は
皆さんご存知「希望」というアレです
未来なんて来なけりゃ皆とのこの差も
これ以上開くことは無いのにさ
だって昨日も一昨日も変わろうとしてたけど
今日も僕は変わらないまま今日がまた終わってく
明日また起きたら何か始めてみよう
だから今日はいつより早く眠りにつこう
だけど眠れなくて朝日が昇るんだ
明日はもっと自分が嫌いになるのかなぁ
精神を安定させるアイツの魔術は
苦しみだけじゃなく楽しみも消していく
憂鬱を抑えてくれるアノ子の呪いは
絶望だけじゃなく希望も無くしていく
あぁ僕の身体が壊れていく
「いいかい君は病気だから」とお医者さんがくれた
この薬を飲んだら深い眠りに堕ちるんだ
明日また起きたら何か始めてみよう
だから今日はいつもより早く起きてみよう
だけど起きれなくて夕日が沈むんだ
こんな辛い日々もいつか終わるかなぁ
そうさ誰のせいでもなくて僕の問題だから
僕のことは僕でしか変えることができないんだ
明日を夢見るから今日が変わらないんだ
僕らが動かせるのは今日だけなのさ
今日こそ必ず何か始めてみよう
応援はあまりないけど頑張ってみるよ
明日を夢見るから今日が変わらないんだ
僕らを動かせるのは自分だけだろう
そんなことわかってるんだろう
強くなれ僕の同士よ
この詞は、「世界の終わり / 銀河街の悪夢」になります。私も今日知りました・・。見事にまで「闇(精神疾患)」を表現してくれています。あっぱれです。
うつの世界は正にこうです。でも、うつの経験のない方にはどれくらい伝わるんだろうか・・。でも、皆こんな感じで日々苦しんで、悲しんで、切なくて、変われない自分が情けなくて・・・一日を過ごさせているんです。本当に私もこの詞そのものでした。
明日を夢見るから今日が変わらないんだ
僕らが動かせるのは今日だけなのさ
今日こそ必ず何か始めてみよう
応援はあまりないけど頑張ってみるよ
他でもない自分が何か始めなくてはだめなんです。明日じゃだめなんです。今日からです。今この瞬間からです。
よだれを垂らし、鼻水を垂らし、おしっこを漏らし、うんちを漏らし・・ そんなごとく這い上がるのです。自分で這い上がるしかないんです。
彼も言ってます
明日を夢見るから今日が変わらないんだ
僕らを動かせるのは自分だけだろう
そんなことわかってるんだろう
強くなれ僕の同士よ
残念ですが薬では変われません。
他でもない自分で自分自身で変わるしかないのです・・・。
「世界の終わり / 銀河街の悪夢」
『SEKAI NO OWARI / スノーマジックファンタジー 』
なんとなくアップしました。
上の番組は、彼らを好きな理由のひとつですかね・・。なんとなく・・・。
その昔、今のCDの2分の1位のサイズのCDがあったんです。シングル曲(今こういう言い方しないのか)のためのサイズのCDなのですが若い方々にはわからないですよね・・。何となく部屋にあるCDを見ていてこの1枚を見つけました・・・。(ひょっとして今も発売してるのかなぁ?)
「Good-by morning / 宇徳敬子&近藤房之助」
学校の親に
「給食費を支払っているのだから子供に『ご馳走様でした』を言わせないでくれ」
をという親がいると聞いた事があります。
初めてこれを聞いたときには「えーーーー」でした。私の中にはこの考え方とかいうか発想とういうべきかは持ち合わせていませんでした。私は、人から悪い人に思われるならばいい人には思われたいです。だからと言って決して聖人君子のような人ではない位の自覚はあります。でもこの「『ご馳走様でした』を言わせないでくれ」はないと思います。いくらお金を払っているからといってお礼を言わなくて良いなんて話にならないと思います。人から何かしてもらったら「ありがとう」です。そこに金銭が絡んでいようがなんだろうが「ありがとう」じゃないのでしょうか?給食の場合は、野菜を作ってくれたお百姓さん農家の方々を始め調理してくれた方に対してお礼の『ご馳走様でした』ではないのでしょうか?
人に何かしてもらったら「ありがとう」こんな事は、道徳以前のお話だと思います。
うちの子供には最低限そこは教えているつもりです。子供に何か自分で買い物をさせてレジでお金を支払う時に必ず最後に頭を下げているか私はいつも確認しています。
時々、惰性や習慣ではなくそこに「感謝」を持ちわせることを確認させなくてはいけないし、自分にも言い聞かせていかなければいけないと感じています。
お金を払ったのだから何でもありではあまりにも心が貧しいのではないのでしょうか?