うつ  一歩進んで二歩さがる。それでも進んでる!

「常識や理屈なんてくそくらえ」

 理屈とか常識とかそんなもの、この人達の曲聞いていると自分の器が「小さいなぁ」と思う時があります。

このバンドの詞が好きです。難しい比喩もありすが、うまく言えないけどとにかく響くですよね、心に・・。

 格好いいんだよな・・ それは理屈じゃないんです・・

「 情熱の薔薇 / THE BLUE HEARTS 」




スポンサーサイト



「おじい自慢のオリオンビール」

 一回だけ沖縄に行ったことがあります。あの澄みきった海と大好きだったのがあの沖縄県人の、のんびりした県民性です。沖縄の人って仕事が終わって一回お風呂に入ってからお店に飲みに行くんですってね。(まるで私の私生活と一緒)沖縄時間ってのがあるみたいなんですね。平気で決まった時間を守らない。集合時間の1,2時間遅れるのが当たり前というかそういうものなんですってね。何がおどろくかった披露宴でもそうらしんですよね・・。その披露宴も呼ばれてない人も来ちゃうんですって。だから親族の席がなくなっちゃうって聞きました。

                             「めでたいことは皆でお祝いしちゃえ・・」

 って感じなんでしょうね・・。

 いいな・・そういのって・・。

 私のたまに行く沖縄の居酒屋でよく女将がこの曲を三線(さんしん)で演奏して歌ってくれます。

「 オジー自慢のオリオンビール / BEGIN」


「強くなるということ」

 うつ病になるきっかけは、仕事上のうえで未来にかかるうるかもしれない重圧に耐えられなかったからです。あるかないかわからない「幻影」に押し潰されました。残業や土、日、出勤もしていました。この病気にちょっと足を踏み入れていた頃だったでしょうか・・。休日出勤の時に、別の係りの同じ年の同僚がこう言いました。今でもはっきりと覚えています。


                         「こんな仕事、家族があるから頑張っていられる」         
と・・。

私は、彼の言葉に反して家族を守れなかった・・。

仕事が出来なくなった。全うできなかった。そして病気になった。家族を苦しめた。

今となって思うのは、今だから思えるのは、家族のためとか誰のために「頑張ろう」じゃだめなのです。誤解のないように言いたいのですが皆様に伝わるのでしょうか?伝わらないのかもしれない。でも、

                        「自分のために頑張る」             

 自分が一番なのかもしれません。いえ、自分が一番なのでしょう。

 家族のため、誰かのため・・・。自分以外に責任を擦り付けるような事ではだめだと思うのです。

                           「自分のため」

 自分が一番・・。うまく言えませんが自分を全て知り尽くしたうえで自分を「愛」したうえで初めて家族とか誰かを愛せるのかな・・・と。

                   「自分を愛せない者には他人は愛せない」


本文とは全く関係ありせんが私の大好きな曲です。

「イエス / Acid Black Cherry 」


『ただなんとなく・・』

「 I'm so Happy / Janne Da Arc 」


『ただ感謝です』

 先日、こんな機会がありました。たまたま仕事終わりが一緒になった職場の女の子を車まで自宅まで届けることになりました。彼女は、「ありがとうございました。」と車内で挨拶をして下車しました。誠に申し訳ないのですが、ここからが私のめんどくさい性格?になります。彼女は、そのまますぐに自宅へと向かいました。きちんとお礼をしてなんだ社会人として落ち度はないのです。ただ「見送ってくれるのかな・・」って見たちゃったんですよね・・。何を期待したわけではありまん。本当に・・。

 うちの子供が時々学校活動のおりに、車での送り迎えをクラスの親子同士互いにする事があります。私の考えから

             「お礼をした後に無時に帰ってくださいの想い込め少しは車を見送っているか?」
と・・。

 そう子供にたずねると少し不機嫌そうにこう言うのです。

                          「そうすると車が動いてくれない」
と・・。

 そうです。そちらは、そちらでちゃんと見送ってくれているそうなんですね・・。うちの子が玄関に向かう姿を・・。ありがたいお話です。ただ、

                                 「感謝」
です。

『センサーが要らなくなった・・』

以前も書いたのですが・・。

 野生の動物は、敵という存在に相対した時に一瞬、ほんの一瞬に「戦うのか?逃げるのか?」を判断するそうです。それは、生きていくためのまさしく本能です。

 うつ病で療養から社会復帰してからの私は、この「本能」が働いていたような気がします。初めて会う人、そうコンビニの店員さんにもでも「この人いい人かな?怖い人かな?」って必死に観察していました。生きるか?死ぬか?では到底ないのです。だけど必死に感じ取ろうとしていました・・。何もかもに臆病でした。怯えていました。うつ病とかの精神疾患って「完治」っていうのがないんです。骨が折れた、治ったというそういう「完治」ってないのです。どこまでいっても心の事だから形には表せません・・。先が不安でしょうがなかった・・・・。だから自分も心をなんとか保もとうと人の心も探っていた・・。

 それでもおかげさまで何とかここまで仕事も休む事無く出勤できております。本当にありがたいことです。私に携わってもらっている人の方々のおかげです。ただただ

                                   「感謝」

です。

今、辛く全人類に憎しみを抱いている人もいつかきっと「感謝」出来る日が来ることを望みます。

「そんな事は無理だよ」って言う人もいるでしょうね・・。

そう、私も病気中は私に出会った全ての人を憎みに憎んだものです・・・。それは心が病んでいたから・・。

私は「いつか病気は治るよ」って無責任な事は絶対に言いません・・。

ただ、絶対に言えるのは「治る」という事をあきらめたのならその先はないのかもしれません。

うつ病に特効薬はありえません・・。

日々、毎日、小さな事をコツコツと続けることで道が開けるきがします。

 「毎日花に水を上げる」「毎日散歩する」等々・・・。

 なんだっていいです。社会に一歩踏み出すことを確実に毎日続けるのです・・。

           「明日を夢見るから今日がかわらないんだ 僕らを動かせるのは今日だけなのさ」

 バンド、SEKINO OWARI 「銀河街の悪夢」の歌詞からです。

 今、この瞬間に変わらなければ(行動しなければ)明日など絶対に変わらない。

 小さな事からコツコツと・・・です。私も牛乳パックをリサイクルように切る事から始めました。それが私が始めたことでした・・。最初は、それすら満足にできませんでした・・。

 最近、コンビニで店員さんを「敵か?見方か?」と見ることがなくなりました。 必要がなくなったからです。

 本当にありがたいことです・・・。

 こんな事、日常多分当たり前なんです。誰だってできている事です。

 大丈夫、みんな出来る事なんです・・。

 今は、出来ている事に

                                  「感謝」
 です・・。