「うつ友って必要でしょうか・・・?」
私は、休職中にひょんなことから学生時代の友人が同じうつで休職中だということを知りました。若い時に、年に数回他の友人を交え呑んで交流をしていましたが、ここ数十年は年賀状を交換するだけの付き合いでした。そんな時、同じうつ病の話し相手を初めてもった私は「自分のことをわかってもらえる」と喜びメールを送るようになりました。彼は、遠方にいたためメールのやり取りだけで電話で話すことは一度もありませんでした。私が一方的にメールを送るだけで、彼はそれについて返事を返すだけでした。そんなやりとりがしばらく続きましたが、日がたつにつれ段々と彼のメールの内容が変わり始めました。そう「豪」になってきたのです。彼は、復職の目標が明らかになってきたのでしょう。そして初め職場復帰する人のひとつの典型的パターンである「よし!俺はもう大丈夫。治ったんだぞ!怖いものはない!」状態になっていたのだと思います。これは私の想像で、直接彼に聞いたのではありませんから信実はわかりませんが・・。やがて彼からのメールは「なぜ○○しない、治すきはあるのか?」というような今で言う上から目線の内容になっていき、私は彼にメールをするのを止めました。もともと彼からメールが来ることは無かったのでそこで彼との交友は「ジ・エンド」でした。今、彼がどうしているかは知りません。彼も、私が今、どういう状態であるのかを知ろうとしていない「事実」がここにあります。
うつの発症の原因は人様々です。そして社会復帰を目指す過程も本当に人様々です。数ヶ月から数年と・・・・。その努力する内容も本当に様々です。「うつ友」があなたとおなじ心の状態の時はいいのですが、そんなことは永遠に続きせん。(同じと思っている時もそれはたぶんあなたの思い過ごしだと思います。)どちらかが社会復帰のめどが立ったとき、同じように目どがたっていればいいのですが、そうはうまくいきません。復帰のめどがたった者は、とにかく社会に適応することに最大限努力し、それを邪魔する「ストレス」は最小限に止めようと努力します。当たり前のことです。その時にまだうつ友から「死にたいよ~、怖いよ~、嫌だよ~」と問いかけられたらあなたはどうしますか?どう感じますか?
うつ友を持つなとは言いません。でも信頼を度数で表すとしたら腹5分目、いや腹3分目位に止めるべきです。例えば、病院であった時のみ話す程度とかに止めるべきです。なにも人間関係を気薄にしろとは言っているわけではありません。私たちの心は今、特別な状態なのです。動作も無く病気にかかる前にはできた新たに人間関係を築きる行いを、今は止めたほうが無難です。あなたが傷つく前に、またあなたが人を傷つける前に・・と私は思います。
ベストセラー渡辺和子著「おかれた場所で咲きなさい」幻冬舎 の中で著者は、「100%人を信頼しちゃだめ。あとの2%は相手が間違った時の許しに取っておきなさい」と述べております。一理あるなと思いますが何か寂しい気がします。ここで矛盾していますが私はある方からこう教わりました。「人との付き合いはどんな人であろうと分かり合えるわけがない。だから腹8文目で付き合っていきなさい。」と。
なるほどと今は思うのです。病気したからわかる気がするのです。あの悲しみ、苦しみ、あの恐怖の体験は自分でしか決死ってわからないのだから・・。