『幸せは誰が決めるのですか・・?』
先日、朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」でこんなシーンがありました。主人公の娘を演じる「杏」さんの結婚を反対する父「原田泰造」さんと父のお世話になっている会社社長の会話です。お父さんはこう言います。「娘は、いっぱしの女みていに「男(結婚相手)の夢は私の夢」って言う。どんな苦労だって我慢してやっていく。余計な苦労も男のためにってしょちまう。それが心配なんだ」みたいの事をいいます。父は、洋食屋を営んでいますが、始めは食うものも食えずみたいな状態だったようです。それを奥さん演じる「前前直見」さんが支え続けたみたいです。社長は、「お前が言うか。」と言ってこう続けます。
「奥さんが苦労している所は何度も見た。でも不幸せに見えたことは一度もなかった。」
と・・。
私は、ホロってきました。
目に見える現象としては、苦労しているように見える。でも奥さんは、それをはたで見ている第三者には不幸に見せない。これは、私の勝手な想像ですが、きっと陰で支える奥さんの笑顔がとても素敵だったんでしょう。そしてそんな二人の生活の真髄を見抜く社長が「すごい」と思います。私もそんな世界を見抜ける眼力を持つ「人」になりたいです。
幸せでないという事は、他人が決して決める事ではありません。というか決めれるはずがありません。ありえません。よそ様がとうり一辺倒の現象を見て、御託を並べ、自分の価値観と照らし合わせ「あーー、あの人は可愛そうね、不幸でいらっしゃる。」と言ったところで、とうの本人が「幸せ」だと感じれば、それはとうの本人にとっては幸せなんです。
「100万円あってもまだ足りない。1億円あってもまだ足りない。」と思うのか・・。
「今日も雨露しのぐ所で寝れた。今日も三食食べることができた。」と、決しって当たり前ではない事をどれだけ幸せだとを感じられるのか・・。感じることができるのか・・。
そして「今日も生きていることができた。」と日々改めて実感できるのか・・?それがどれだけ尊い幸せだと実感できるのか・・。
いつも引用させていただきます。江頭2:50さんの言葉です。
『幸せは自己満足・不幸せは被害妄想』