「決別」
療養中、月日が経つにつれ、土曜日・日曜日が嫌いになりました。理由は簡単です。家族が一緒にいるからです。家の中で好き勝手、自由にしていられないからです。妻・子供の手前、ゴロゴロしていられません。妻にも子供にも気を使い、申し訳なく普段のようにゴロゴロできませんでした。そして、土曜・日曜日は、一切外出しませんでした。外に出れば、職場の人間に会う確率が平日に比べ確実に上がります。だから土・日はいつも家の中にいました。そんな自分が嫌だった・・。私が変わろうとしたきっかけ・・。以前に書きましたが、
・ 病院に診察に行っても先生に話すことがなくなった・・。(なんの変化もない生活だから・・。)
・ いつからか午後の再放送ドラマを楽しみにしている自分がいた・・。
そして、
・ 土日が嫌いになった自分
です。
絶対的に必要な療養期間が人それぞれあると思います。心のエネルギーが枯渇してしまった分、補充する時間は必ず必要です。それは、医学的には概ね3~6ヶ月だそうです。以前も書きましたが、私たちの病気は、切った・腫れたの単純な病気と違います。だからそんな簡単に杓子定規には決められないと私も思います。でも、この期間を過ぎたのなら、医学的・世間的には『例外』の人になっていくのでしょう・・。職場・学校等はそう見始めていくと思います。私たちは、その期間が過ぎたのなら、別の方向に目を向けなくてはいけないと思います。
療養期間に終わりを告げなくてはいけない『時期』は、他らならぬ自分がわかるはずです。わかっているはずです。何をどうしたって、自分で今の『自堕落な生活』と決別をして、自分で這い上がるしかありません。誰のためでもありません、家族のためでもありません。
自分のために這い上がるのです。
その後に家族のため等をくっつければいいのです。
『棚からぼた餅』
で、いつか治るを期待したって絶対にその時は訪れません。「いつかきっと治るよ・・。」いつまで待ったって来やしません。
『人生に棚からぼた餅はありません。ましてや私たちの病気に棚ぼたなど絶対にありえません。自分で這い上がるしかないです。自堕落な生活が長かったなら長い分、その分もがかなきゃならないんです。』
「いつかきっと治ります。」などと身勝手なことは言いません。ただ、今の生活を変えない限り「治る。」という状態が訪れないことは確かです。